微熱。
リョージからメールがあった。
リョージと恋人同士だったのは2ヶ月半の間だった。
恋をしたつもりなかったのに、
ほだされるように、
いつの間にか「彼女」になっていた。
それでも、
夜中公園で話したりキスをしたりした後、
玄関先で別れる時は、
この世の終わりみたに淋しかったのだけど。
メールは、
久しぶりに私のblogを読んでの感想と、
それから、彼にとって、
私との出会いはセンセーショナルだったし、
恋心とは別に、
今でも大切な人だと思っている、
という様な内容だった。
指の細い人だった。
眼鏡の向こうにある目は、
ひどくキラキラしていて、
それから歯並びがきれいで。
笑った顔がすごく好きだった。
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『好意を注ぐのは勝手だけれど、
そちらの都合で注いでおいて、
植木の水やりみたいに期待されても困る。』
と、華子の言葉をそっくりそのまま借りたことがある。
昔の、ことに十代から成人になりかけの頃の私は、
いつだってそんな風だった。
好いてくれるのは嬉しい。
優しさはうけとめる。
だけど何かを期待されても困るし、
そんな愛情は、
ただ煩わしかった。
愛されることは、
ほとんど恐怖に近かったのだと、
今ならば理解る。
人は誰だって、
相手が男でも女でも。
自分と同じだけの気持ちを欲しがる。
そっくり同じだけの、気持ちを。
そこに、過不足があってはいけないということ。
不足があれば、悲しみに。
過剰であれば、それは恐怖にかわる。
あの頃。
季節の変わり目に風邪をひくみたいに恋をした。
わざと、薬も飲まずに。
体に溜まる少しの熱に、出来る限り沈みこむみたいに。
それくらいが良かった。
ずっとひかない微熱みたいに。
そんな風に、自分を想ってくれることを望んでいた。
自分自身が、そんな風にしか、
好きになれなかったから。
怖くて、傷つけた。
あるいは自分で欲しがったものかもしれないのに。
それ以上のものを差し出されれば、
その手を強く弾いた。
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私は、リョージに何をしてあげられたんだろう。
東京の街を、雨の中一緒に歩いた。
バイト先の、階段の踊り場でキスをした。
夜の公園で、缶ジュースを飲みながら語った。
寒くて、ミルクティはすぐに冷めてしまった。
それでも、彼は私のことを覚えていて、
blogを読んで、メールをくれる。
大切な人だと言ってくれる。
今更ながら、幸福さに感謝をしたい。
若かったとか、幼かったとか、
捻くれていたとか。
多分そういうことではなくて。
知らなかった、単純に。
「好きになる」という、
純粋な感情を理解できず、
ただ怯えていた。
この場合の無知は、
罪悪に等しいと思う。
どれだけの傷を、彼に与えたのだろう。
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「またいつか会おうね。絶対だよー。」と、
横浜にいる私の昔の恋人は言う。
うん。会おう。
またいつかきっと。
その時はきっと、
私は謝ることなどせずに、
「ありがとう」って言おう。
私も出会って良かったと思うよって。