さて、カフェで休憩した後は下の階の鑑賞に向かう。
僕がフィレンツェに住んでいた頃、この階は特別な展示会などでは使われていたが
今のような形で公開されたのは結構最近の事だと思う。
上階と比べると、やや趣に欠ける事は否めない。
どちらかと言うと、近代的な美術館の印象であった。
それでもさすがはウッフィツィ、名画がズラリと並んでいた。
しかし

今の僕の目的はただ一つ、十数年間思い焦がれた、ある一枚の絵を見る事だけだった。
それはラッファエッロの”ヒワの聖母”という作品で、僕の中ではフェルメールの幾つかの作品と並んで胸を打つ絵画の一つだ。遂にあの絵を、、、と思うと胸が高鳴る。
長年の修復を終えウッフィツィに戻ってきた絵画と、感動の初対面である

僕のイメージでは、、、ラッファエッロにふさわしく、堂々たる部屋が設けられている、、、
部屋の中央部にはボッティチェッリの部屋のようにソファーが幾つか置いてある、、、
そしてそこに腰かけ人知れずはらはらと涙する自分、、、
そしてその自分を遠くから見つめ”良かったのう、、、”とほほ笑む自分、、、
今思うと世にもアホらしい自分劇場を脳内公演していたのだから本当にため息が出る
そんな妄想もしながら娘の手をとり、幾つ目かの部屋をくぐると、、、、

あった
、、、、あった
、、、、あった、、、、、遂に実現した”ヒワの聖母”との対面だった。
想像していたような部屋でもなく、他に誰も鑑賞者もなく、ひかえめに、ひっそりとした感じで佇んでいた。“やっと会えたね”
思っていた様な劇的な感動はこみ上げては来ず、穏やかな、しんとした気持だった。
”これがパパの見たかった絵か~”娘も一緒に見入る。この絵が見たくて通っていた十数年前、まさか3人の子供の父親になり、娘と共にこの絵を見る事になるとは、当時の僕には想像もつかなかった事だ。
なぜこの絵に魅かれるのか考えてみた。
それはたぶん、この絵がもつ中庸さのためだと思う。
中庸という言葉は、たまにあまりいい意味で使われない事があるが、そうではないと思う。
中庸とは、偏ることなく常に変わらない事。過不足が無く調和がとれている事、また、そのさま。
この絵から醸し出される偏らない心、とらわれない心、こだわらない心、普遍的なイメージに僕はきっと魅了されるのだと思う。とたった今自己分析してみた

あらら、、、この調子で行ったらまた終わらないよ、2日目の旅行記!
でも大丈夫!妻との待ち合わせ時間が差し迫ってきたため、文字通り僕らは駆け足でその後の部屋を鑑賞した、、、というか走り過ぎたから。
でも、その中でもお気に入りの小品を一つだけ。

ロッソ=フィオレンティーノ ”奏楽の天使”
そして2時間余りにわたる鑑賞が終了。万感の思いだった。
僕は決して美術の知識が豊富なわけではない。
でもお気に入りの絵と出会ったり、前回述べたように絵の解釈なんて個人の自由だし、色々な楽しみ方がある。
そんなに気張らず、フィレンツェを訪れた際には是非、美術ファンならずとも行ってみてもらいたい場所である。っていうか僕が言わなくてもみんな行くだろうけど。
妻と下の子たちと再会した後、フィレンツェの街をぶらつきながらアパートに帰った。
途中スーパーで買い物をして。
夕食はパスタやプロッシュートなどで簡単に。やっぱりアパートはいいね、落ち着く!
次回はフィレンツェを離れ、チェルタルドというおとぎ話のような街へ小旅行です

長くなってしまいました。今回も最後までありがとうございました。

