多元的世の中における使徒職の多様化
 信徒の神学をやっていて、信徒使徒職が現代においていかに重要か、というテーマ設定が登場してくる。というのも、信徒は社会の中に「浸透している」からなのだそうだ。
 しかし思う。使徒職が多様化しているのは、信徒だけの問題か? 社会正義があり、ホームレスがいて、移民の人権があり、ありとあらゆる福祉の問題があり、方や、教会プロパーの典礼、信仰教育、聖書、祈り、黙想指導といったものがあり、はたまた社会の中ではネットも含めたメディア活動も重要な役割。さらに教会運営に関する事務、総務、財務もあり。実に多様な業務を信徒、司祭、修道者で総掛かりでやっつけないといけない時代になっているのではないか。
 教会の建物の中にいるだけで終わらない。外に出て、しかもそれはアウェイではない、教会の場を教会の建物以外の場にも広げて、総出でやっていかなければならない。こうして、現代における使徒職、現代世界憲章が世にある教会、旅する教会という自己認識を持って以来の使徒職は、これほど多様かつ多義的になっているのである。
 信徒使徒職という問題設定をもう止めよう。使徒職を現場現場で明確化し、それを教会メンバーの誰が担いうるか、残念ながら誰も担えないか、それを特定していく時代なのではないか。その中で、どの信徒がどれを担いうるか、誰と協力しうるか、個別的に話ができるのだろう。
この部分の日記は、ケロが1989.7~1992.2まで滞在した、アルゼンチンでの日記です。

  • はじめに
     今から話すことは、わたしが1989年7月から92年2月にかけて、フォルモサというアルゼンチンの片田舎で過ごした体験を、その前後の経過と、現況など取り混ぜながらまとめたものである。89年当時、わたしは一般企業で働くサラリーマンだったが、ちょっとしたきっかけ(気まぐれ? 気の迷い? 思い違い? 一大決心?)で、今で言う「海外ボランティア」に出ることになったのである。脱サラかあ、と思うとちょっとかっこわるいものだけれど。
     青白い顔をした日本のサラリーマンが、灼熱の南米で何を見て、何を考えてきたか、書き残しておきたい。確かに、日本ではなかなかできないような体験をしたと思う。
     出発前に、“参考図書”にしようと思って読んだ、向一陽『奥アマゾン探検記』(上・下)(中公新書)に、アマゾン探検をした人たちが、その後みんなで動物園に行ったら、そこにいた大半の動物をアマゾンで食べたので、檻の前で「これ、堅いんだよ」と言い合ったのだそう。同じような経験がわたしにもあって、檻の前で「これ堅くて」、というと心なしかその動物の目がちょっと不安げになるような気もしないではない。こんな経験日本では何かに役に立つかというと、話の種ぐらいにしかならないし、二言目には「アルゼンチンでは・・・」なんてやってると、感じ悪いだろうな、と思いつつ。
     しかしだからといって、この体験が今日本で生きている自分と無関係ではないし、あのフォルモサの人々は今もわたしに語りかけ続けているような気がする。アルゼンチンを離れてからもう16年。実は、取材先のある人から、「どこかにその記録を書いていないのですか?」とたずねられ、記録することが大切かと思った次第。
     さて、わたしは今までどこからきたのか、これからどこへ向かっているのか、白い紙の上に描かれた一本の曲がった直線を、じっくりとたどってみることにする。

今日の第1朗読は助祭の任命。使6・1-7。
「弟子の数が増えて」「ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た」

「日々の分配のことで」「やもめが軽んじられていた」
12人→弟子すべて
「神のことば」「食事の世話」「霊と知恵に満ちた」「評判の良い」7人

12人「祈りとみことばの奉仕に専念」助祭への按手
弟子たち「一同、賛成」


新しい時代状況に合わせた、新しい役務のエピソード。