多元的世の中における使徒職の多様化
信徒の神学をやっていて、信徒使徒職が現代においていかに重要か、というテーマ設定が登場してくる。というのも、信徒は社会の中に「浸透している」からなのだそうだ。
しかし思う。使徒職が多様化しているのは、信徒だけの問題か? 社会正義があり、ホームレスがいて、移民の人権があり、ありとあらゆる福祉の問題があり、方や、教会プロパーの典礼、信仰教育、聖書、祈り、黙想指導といったものがあり、はたまた社会の中ではネットも含めたメディア活動も重要な役割。さらに教会運営に関する事務、総務、財務もあり。実に多様な業務を信徒、司祭、修道者で総掛かりでやっつけないといけない時代になっているのではないか。
教会の建物の中にいるだけで終わらない。外に出て、しかもそれはアウェイではない、教会の場を教会の建物以外の場にも広げて、総出でやっていかなければならない。こうして、現代における使徒職、現代世界憲章が世にある教会、旅する教会という自己認識を持って以来の使徒職は、これほど多様かつ多義的になっているのである。
信徒使徒職という問題設定をもう止めよう。使徒職を現場現場で明確化し、それを教会メンバーの誰が担いうるか、残念ながら誰も担えないか、それを特定していく時代なのではないか。その中で、どの信徒がどれを担いうるか、誰と協力しうるか、個別的に話ができるのだろう。
信徒の神学をやっていて、信徒使徒職が現代においていかに重要か、というテーマ設定が登場してくる。というのも、信徒は社会の中に「浸透している」からなのだそうだ。
しかし思う。使徒職が多様化しているのは、信徒だけの問題か? 社会正義があり、ホームレスがいて、移民の人権があり、ありとあらゆる福祉の問題があり、方や、教会プロパーの典礼、信仰教育、聖書、祈り、黙想指導といったものがあり、はたまた社会の中ではネットも含めたメディア活動も重要な役割。さらに教会運営に関する事務、総務、財務もあり。実に多様な業務を信徒、司祭、修道者で総掛かりでやっつけないといけない時代になっているのではないか。
教会の建物の中にいるだけで終わらない。外に出て、しかもそれはアウェイではない、教会の場を教会の建物以外の場にも広げて、総出でやっていかなければならない。こうして、現代における使徒職、現代世界憲章が世にある教会、旅する教会という自己認識を持って以来の使徒職は、これほど多様かつ多義的になっているのである。
信徒使徒職という問題設定をもう止めよう。使徒職を現場現場で明確化し、それを教会メンバーの誰が担いうるか、残念ながら誰も担えないか、それを特定していく時代なのではないか。その中で、どの信徒がどれを担いうるか、誰と協力しうるか、個別的に話ができるのだろう。