朝陽はすっかり地平線から上り、あたりに漂う朝もやをきらきらと照らしていた。ロレンツォは剣を腰につけながら、露のついた草を踏みしめ走り続けた。呼吸するたびに朝の透明な空気が胸の中を満たし、これまで彼を覆っていた冷たい夜が取り去られていくようだった。王城はもう目の前だ。自分が幽閉されていた北の塔からだと、使用人が使う裏木戸を通れば裏庭へと出られる。ロレンツォは耳を澄ませ、木戸の裏に誰の息遣いもないことを確かめると、慎重に取っ手に手をかけた。蝶番のさび付いた木戸はキィ、と小さな音を立てて簡単に開く。意外なほど、あっけなく。ロレンツォはふっと息をつめると、剣を構えたまま裏庭に飛び込んだ。だが、彼の予想に反して、そこには、誰もいなかった。彼に刃を向けてくる兵士達はもちろん、井戸で水を汲む女中も、草を刈る園丁も、いや、ネズミの一匹すら、そこにはいないのだった。ロレンツォは、あたりをぐるりと見回した。
(これは・・・・・・一体・・・・・・・)
彼は裏庭の光景に、奇妙な違和感を覚えた。確かに、今見ている景色は、彼がたまに散歩で見慣れた裏庭そのものだ。だが、何かが違う。だが、それが何かは分からない。ぴたりと合うはずのパズルが1ピース欠けてしまったかのような、不快感。ロレンツォは、じわりと背筋に冷たい汗が一筋流れるのを感じながら、足を一歩、踏み出した。幽閉生活ですっかり擦り切れた革の靴が、さくり、と草を踏みしめる音があたりにやけに大きく響く。その音が耳に届いた瞬間、ロレンツォははっとして顔を上げた。風が、無い。ロレンツォは急いで周りを見回した。いつもそこにあるはずのもの、優しい鳥の声、梢を揺らす風の音、小さき虫達の息吹・・・・・・。それが、全く感じられなかった。完全な、無音の世界。眼前に広がるのは、まるで一枚の、静止した絵画のようだった。そうだ、これに似た情景を彼は見たことがある。お抱えの宮廷画家が描いていた、風景画のようだ。そうだ、ここには、空気の流れがない、命あるものの息吹が感じられない。ロレンツォは、ふらり、とよろけそうになるのを堪えて城内へと向かった。そうだ、王妃はきっと、自分を待っている・・・・・・。この、時間に取り残された城の一室で。なぜだか知らないが、彼はそんな、確信にも満ちた気がしてくるのだった。
・・・重苦しい。城内へ足を一歩踏み入れて最初に、ロレンツォは感じた。のしかかるような空気の圧迫。城内は水をうったようにしんと静まり返っていた。いつもならばこの時間にせわしなく働いているはずの女中の姿も見えない。窓の外には朝陽が上っているというのに、その眩しい光も、鉛のような空気に遮断され、まるでここだけ夜に取り残されているという錯覚を覚える。彼は左右に分かれて優美なカーブを描く中央階段を1段づつ登り、豪奢な彫刻が施してある大きな扉の前に立った。玉座の間。いつもならば左右に控えているはずの番兵もいない。彼は息を整え、前を見据えた。胸元のペンダントがきらめく。彼はそっと水晶に触れた。
「・・・愛する者のために」
ロレンツォは剣を腰にさし、両手で力いっぱい、扉を押した。