
























































































沖 千映子
chieko oki
BOTANICAL ARTIST
about
ボタニカルアート(植物画)とは
ボタニカルアートは、欧米ではコンクールなどが盛んで芸術の
一分野として愛好されています。
ボタニカルアートの歴史は古く、古代エジプトやギリシャの時代には、
植物の本がありました。ギリシャのパルテノン神殿の柱にはブドウの
絵が描かれていました。
大航海時代には、植物を見分ける為、探検家と画家がペアになり、
画家がリアルに植物の様子を描いたものを国に持ち帰りました。
特に昔のヨーロッパは寒く、植物があまり育たなかった為、
その植物画は珍重され、図鑑として刊行されました。
珍しい植物は、リアルに描かれて美しかったことから、
高価な出版物は、貴族や大商人の間で大変人気となりました。
また、王室でも植物を広い庭園で育てることがステータスとなり、
人気の植物の交配など、品種改良など行われることになり、
ナポレオン皇妃のジョセフィーヌやマリーアントワネットなどが、
宮廷画家のピエール・ジョセフ・ルドウーテに描かせ、植物画の
美しい出版技術も進み、ステップル・グレービング(点刻彫版)で、
更に人気を集めていくこおになるのです。
(多色刷スティップル銅板が仕上げなど)
私とボタニカルアート
ボタニカルアートが好きな理由
小さい頃、私は農園を営む
おじの家族とおばあちゃんに育てられ、
田舎暮らしをしていました。
田舎で見た山や川の様子。季節ごとに移り変わる
風景や農園の瑞々しい果物の美しさに惹かれ、
野山の草花を摘んだり、野イチゴを食べたりした思い出。
川が流れていく音、ドングリの林が風で揺れる音など
身近に感じながら育ち
いつの間にか楽しい思い出と共に
植物が大好きになっていました。
小さい頃に見ていた田舎の景色が心地よかったことが
植物を好きになった理由だと思っています。
植物画に出逢った時のことを覚えていますが
ブルーのリンドウを描いた作品を見た時
なんてきれいな絵なんだろうという思いで
鳥肌が立ったのを覚えています。
深く深く塗り込まれた鮮やかなラピスラズリ色のリンドウは
今も忘れられない記憶となっているのです。
植物を描く意味
ボタニカルアートを描くことは、植物の特徴や色、生息している環境
などを良く理解できるもので、抽象的な絵やデザイン画とは違い、
自然の素晴らしさを表現しているもののひとつだと思っています。
実際に目の前にある植物を観察しながら五感で感じ取った感覚や
感動もその絵の中に描き込まれます。
ボタニカルアートとは、ありのままの植物を描くもので
植物の色や形、香り、仕組みなどを理解することのみならず、
植物画を描くということを通じて植物の生きている環境などにも
目を向けてもらいたいという思いで植物画に携わっていたような
気がします。
植物画とは、自然の持っている技術と、描く側の技が融合して
できたもの。自分が植物を見た時の感動を素直に描いて欲しい
という思い。それは同じものを描いたとしても内面から出てくるもの
が一人ひとり違っているので、それを大事にしてもらいたいと思って
います。よく観察して描いたものは、間違っているものなどありません。
また、植物画を描くことで人間も自然の一部なのだという事
を感じてもらいのです。
現在は、ボタニカルアートの歴史を探っていく中で、
「花を描く」という歴史はボタニカルアートの歴史よりも更に古く、
古代ローマ都市ポンペイで発見されたフレスコ画などにその源
が見られ、花を描くという本来の意味を知り、
昔から人が絵に託してきた願いや思いを植物で表現したい
と感じ、技術を向上させることに精進しています。
略 歴
1969年 福岡県福岡市生まれ。
1999年 ボタニカルアートに出逢う。
2003年 ボタニカルアート教室を始める
TNC香椎文化サークル(ボタニカルアート講師)
2006年 公益社団法人日本園芸協会 ボタニカルート講座修了
2007年 福岡県宗像市にアトリエ 設立
2008年 ボタニカルアート教室(講師)
TNC古賀文化サークル
宗像ユリックス
シダックスカルチャー箱崎
そぴあ新宮(新宮文化協会)
古賀公民館(古賀文化協会)
2008年 福岡県立美術館 グループ展
2010年 結婚後、埼玉県に移住
2012年 夫の転勤により佐賀県佐賀市へ
佐賀県立生涯学習センター認定 佐賀県民講師。
ボタニカルアート教室「植物の出愛いと癒しの時間」を主宰。
2015年 トネリコcafeにて個展
「愛」を表現したボタニカルアート展示
ボタニカルアートの歴史と花を描く意味
2015年 村岡屋本店ぎゃらりー彩にて個展
2016年 横浜に移住。