🏥 Dr.CoC夫のひとこと 🏥
【前編】でも紹介した
網野善彦氏の代表作
中世以前には
全国各地に存在していた縁切寺
しかしながら
江戸時代になると激減し
縁切寺として公に認められていたのは
群馬県太田市の満徳寺と
今回訪れた北鎌倉の東慶寺のみ
そんな東慶寺にやって来ました
縁切寺の敷地内に
妻の体が一部分でも入ってしまえば
夫であっても
妻を連れ戻してはならない
妻の体の一部ではなくても
草履や櫛など身につけたものを
敷地内に投げ入れた途端
夫は妻に手をかけてはならない
江戸時代に女性には離婚権がなく
妻が積極的に離婚の決意を貫くためには
こうした寺法に支えられた寺院に駆け込み
三年間比丘尼(びくに)としての
勤めを行う必要があったそうです
「大変な時代だったんですね」
そんな言葉を当時の人が聞いたら
こんな返事がかえってくるかもしれません
「そっちこそ大変な時代ですね」
離婚という側面から見ると
確かに女性にとっては
大変な時代だったに違いありません
しかしながら
最も注目すべき点は
現代に置き換えて分かりやすく説明すると
日本国内にもかかわらず
日本の憲法や法律の効力が及ばない
領域が存在することを
国家が公式に認めていたということです
つまり
『アジール(聖域)』の存在を
江戸幕府は認めていたということです
では現在も
『アジール』は存在しているのしょうか
一般的な常識から考えて
『アジール』なんてものが存在していたら
法治国家が
成り立たなくなってしまいます
なので
厳正なる法治国家と『アジール』は
共存できません
そのように私達は子供の頃から
刷り込まれています
東慶寺は
ここが本当にお寺なのかと疑ってしまうほど
素朴な空気に包まれています
臨済宗円覚寺派の寺院にもかかわらず
その雰囲気は円覚寺とは極めて対照的です
寺院の敷地全体が庭園であるとともに
寺院を囲んでいる天然の森林と
人工の庭園との間に
一体感が感じられます
例えて言うなら
里山と似た感じかもしれません
まるで
世間の常識に染まるのを拒み
敢えて東慶寺に駆け込む道を選択した
女性たちのようです
群生するスギナ
ハーブティーでも
飲んでいたのでしょうか
さらに奥に進むと
松ヶ岡文庫の入り口が
鈴木大拙氏が
晩年を過ごされた場所です
さらに奥に進んだところには
鈴木大拙氏、西田幾多郎氏、和辻哲郎氏
小林秀雄氏、岩波茂雄氏らの
墓地があります
ふと空を見上げると。。。
ここは今もなお
『アジール』なのかもしれません
世間において
「常識」だと信じて疑われていないことが
実は普遍的ではないと気付いてしまい
その矛盾に対して折り合いがつけられず
普遍的なものばかりを求め続けると
私達の日常生活は
「生きづらさ」に支配されることになります
そして
その生きづらさから逃れたいが故に
積み重ねてしまった業を
生きながらにして精算してくれる場所が
『アジール』とい空間
『アジール』の内部では
俗世との縁は完全に断絶され
生きながらにして死と再生が施され
新しい自分に生まれ変わります
とは言っても
アジールだからといって
全くの自由が許されるはずもなく
アジールにも
世間の常識とは異なる原理に基づいた
アジールなりの常識が存在し
その日常生活はむしろ
世間より厳しかったに違いありません
そして
最も特筆すべきことは
江戸時代までは
国を司る人達も、世間一般の人達も、
「常識は決して一つではない」という常識を
ある程度共有していたということです
そうでなければ
『アジール』なんて存在出来なかったはず
「生きづらさ」を抱えて
社会に順応できない人がいるのも
織り込み済みであるが故に
『アジール』を認めていたと考えられ
このようなコミュニティーは
もしかしたら
今よりもずっとずっと
生きやすかったかもしれません
そう言えば
子供の頃に観たあのテレビドラマ
江戸時代以前には
こうした場所が公認されていたのかも
そして最後に円覚寺へ
亀さんが
ほっこりと水を飲んでいました
今までとはちょっと違う視点で
鎌倉を楽しむことができました
次回は【番外編】です
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