《若杉さんのこの感性って、どうやって培われたものなんでしょうか。》
●若杉:若いときは貧乏が当たり前で、
だんだん豊かになってきたときに、
肉体と精神もそれに伴って変わっていく体験をしてる。
その辺に炒り豆が落ちてるのを拾って食べる生活だったのが、
そのうちここでもごちそう、
どこでもごちそう。
このままでは自分がとんでもない方向、
欲の強い悪魔的な考え方に変身していきそうで、ブレーキをかけなきゃと思った。
それで、まずは近所の川の掃除を1年間続けた。
川が汚れて悲しくて私の魂が泣いてたからね。1人でダンプに何杯分もゴミを拾った。
次の1年間は、老人ホームのシーツ替えとお掃除にボランティアで通った。
おばあちゃんとおじいちゃん達に声をかけて歩き、手を握ったり髪なでたり話しかけると涙流してよろこぶの。
そこで色んな人間模様、人生の縮図を見せてもらった。
次は5年半、お年寄りの家に週2回お弁当を配って歩いた。
マクロビオティックの桜沢如一先生の本に出会ったのはその頃。
桜沢先生が、
『どうやってこんなすごいことを研究したのか』と外国で問われたときに、
『僕は研究してない。
日本の祖先がつくった食文化を再発見して、
世界の人に知らせてるんだよ』って答えてる。
陰性な野菜を、塩や火を使って陽性化して食べる食養の知恵や、
促成ではない昔ながらの醸造でつくった調味料の大事さを私も伝えたくて、
静岡にお店をもって大繁盛してたの。
でもあっさりと店を たたみ、こうして山に入ったのが8年前。
ここの暮らしは最高よ。
水は天からのもらい水でタダ。
冷蔵庫なんて要らない、
土間の竈や七輪で料理して、
薪で五右衛門風呂。
米も野菜も梅干しもみんな手作り。
冷え込む冬も、火鉢や豆炭のコタツで、窓を開けっ放しで外の雪を見るの。
春夏秋冬、天地の青春を楽しんで生きてるって感じよ。
明日死んでも悔いない。
すべてこの私が選んできた行動なのよ。
思いがあれば、誰でも成就できるのよ。
思いは岩をも貫いちゃう位だから、
必ず成就できるの。
あんたがまだ成就できてないということは、
自分の魂磨き、修行が足らんということ。
人生は苦労しないとな。
山あり谷あり、陰アリ陽あり、
一つひとつクリアしながら、自分を鍛えておかないと。
何かの時に弱くなっちゃうから。
すぐにあきらめたり。
昔の女は大和撫子といって、
掴んだら死んでも離さない強さがあったものよ。
『そぎ落として楽になる』
人生は心地よく、機嫌良く、生きてるのが一番。
だって楽しい所なんだものここは。
地球というのは実に楽しいところ。
とどのつまりは、機嫌よう生きて通れば一番いいわけで。
あれこれ色々やることない。
ただこの時代、あまりにも物事が曇っちゃって、魂が曇りすぎて、
闇のように色んなことが皆わからなくなっているものだから、
私は料理を通してお話ししてるだけ。
料理の先生といわれても困るのよ。
料理は私の人生のパフォーマンス。
それでお金を稼ごうとは思わない。
これは小さじ何杯とかカップ何杯とかじゃなくて、全部直感なのよ。
その日の疲れ具合で、塩加減だって 違ってくるんだから。
『この草は食べるとどこに効くんですか?』、そんなのアホか。
机の上でお勉強して何になるの。
『教育』はいらないのよ。
昔の子は教わらなくても親の後ろ姿で育った。自分が汗と水を流して体験して、
余計なもの捨てて取り外していくことが悟りなのよ。
みんな自分に色んなものをくっつけようとしすぎ。
本物をやっていったらいいのよ。
真実真理だけを。
そぎ落としたぶん、楽になるから。
とらわれなくていい。
信仰したり、こだわらなくても。
こう生きねばとか、こうあらねばならぬとか、そんなものはない。
自分が歩きたい創造の世界を歩いてゆけばよいだけのこと。
私が孫たちに手渡したいのはその切符なの。
世の中は色んな幻想を創り出して、
働かなくては生きていけないという恐怖心を植え付けられてる。
ちっとくらいお金が仕事がなくて困ったなと思ったら、
ホームレス1年間くらい体験したらどう?。
やるなら楽しくやればいいの。
引け目を感じる乞食なんかじゃなくて、堂々と。
そうしたって充分生きていけるのよ。
たとえ世の中がひっくり返ろうが。
最低限の塩と米に野草食べて。
良寛さんだって寺も持ってなかったんだから。お釈迦様だってそこらの道ばたで説いてたの。
私も辻説法して歩きたいくらいよ。
【宗教にお金がかかるなんておかしい。それならこの大宇宙に金払いなさいよ。】
お天道様が金くれっていう?
何も請求しないやろ。
金もらうのは人間だけやないか。
人間が作った電気にはお金払うけど、
太陽の光から作ったものには払わない。
このおいしい水と空気。本当のものはタダなのよ。
『人の魂を喜ばせる人になれ』
みんな欲で生きてるから戦争が起きる時代なの。
食べる欲、着る欲、住むにも飾り立てて、
何か余計にないと不安がって。
これから生きていこう思ったら、
一つ一つ捨てていくのよ。
友だちもつまらんやつは自分から切って。
自分がどん底に落ちたときにすくいあげてくれる人が本当の親友なのよ。
夫婦だって、うちのめされたときに真意が分かる。
魂をきれいにしておきなさい。
人の魂を喜ばせてあげる人にならなあかん。
人とべたべたするんじゃなく、
遠くからでもつながりを大事に、
かわいがられる人に。
それが財産や。
人生は会うが別れのはじめ。
一瞬の、二度とこないこの時間。
それか命だとかわったら、
あらゆるこの世の万物が大事に思える。
部分部分じゃなくて、渾然一体万物が。
神さまは私たちに悦びしか与えてないのよ。
それがわかる?
まずは誕生という最大の悦び。
生きてれば祝いごとが沢山。
七五三、成人、結婚の祝い、収穫祭、新嘗祭、種を蒔くお祭り‥。
そういう悦びにわくのがこの地球人類の営みなのよ。
いまはその祝いごとを忘れた時代。
野草だって春になれば天の恵みで、
人間が一滴の水も肥料も施さなくてもちゃんと出てくるじゃない。
それも悦びでしょ。
ありがたい悦びとして感謝しぬいて、死んだら自然に帰る。
土と溶け合って。
以上。
なんかとても大事な事のように感じました
