娘が食べ吐きをしたのか、体調が悪いのか。

とにかく、早朝から嘔吐の声がした。

 

声をかけようかどうしようか迷った。

声をかけて喉に詰まらせたらどうしよう。

声をかけて、また娘が嫌な気持ちになったらどうしよう。

何で声をかけなかったの、とまた寂しい気持ちにさせたらどうしよう。

声をかけなかったがために、重症、最悪の事態になったらどうしよう。

本当に食べ吐きなのか?体は大丈夫なのか?

そんな思いがよぎる。

結局声をかけなかった。

食べ吐きなのかな…という判断を心のどこかでしていた。

直接対峙する勇気がもう残っていなかった。

 

後で「何かできることある?いつでも声をかけてね」と手紙を書いて、

いつものようにドアにつけておいた。

「大丈夫?」とは書かなかった。

体調不良だろうが食べ吐きだろうが、つらいだろうと思う。

 

ネットで検索した。

食べ吐きをしている時、どうやって声をかけてほしいのか、

そもそも、声をかけてほしくないのか。

ここまでこじれた親子関係なのだから、声をかけてほしくないだろうなぁと

思って、私は声をかけなかった。

でも、どうなのだろう。

ネットで検索した。

 

同じように悩む母親からの投稿があった。過食嘔吐が明白であるが、

娘さんが隠しているとのこと。

それに対してどこかの医療機関?福祉施設?からの返信に「どうして

母親なのに大丈夫と声をかけないのか」「知らないふりをするのか」

という意味の文があった。

投稿の方はまだ、ケンカという形で娘さんと関わっているようだ。

まだ娘さんが時々甘えてくるようだ。だからこそ「大丈夫?」

「どうしたの?」「母にはつらそうに見えるけど」くらいの声掛けは

可能であると思う。だからこその医療機関からの返信はもっともだ。

 

「どうして母親なのに」の文が印象に残ってしまって、本当にその返信が

伝えたいことはわからない。勝手に私が切り取って理解してしまったと

いうことが前提。

 

近い存在だから何も言えなくなることがある。

ましてや、毎日言い争いをしていたら、その時の関係に疲れ

果てていたら、その一言が命取りになるのでは、と何も言えなくなる

こともある。

どんなに言い争っていても、いいお母さんになりたい。でも、渦中に

いると、子どもの本当に欲しいものが見えないこともある。そもそも、

本当に欲しいものが見えていなかったということもある。でも、

子どもの本当にほしいものを、自分なりに考えて、考えて考えすぎて、

声をかけられないことだってある。

 

私の場合は、私がたくさん娘につらい思いをさせてしまった。

だから、こんな自分が声をかけていいのかな。

こんな自分が声をかけて、更に気分を害すること、更に傷つくことに

なるのでは、と思うから、もう声をかけることができない。

「毒親には声をかけてほしくない」

って、いうことだと思う。