日本でも今年のアカデミー賞受賞式が行われたようで、
一応離れていても受賞作品や受賞者は毎年チェックしています。
やっぱり旬の俳優さんや映画人がたくさん出ているのと、
「タイトルで敬遠していたけど良い作品」に出会える可能性があるからです。
その旬の一人、真木よう子がダブル受賞をしたうちの主演の方の作品、
「さよなら渓谷」。
先月日本に帰っていた時に、もしまだやっていたらみようと思っていたけど、
さすがにみれなかったので、iTuneでレンタルしてみました!
原作が吉田修一。
実際の事件(帝京大ラグビー部員の集団レイプ事件と秋田児童殺害事件)をモチーフにしているものですが、もうそれだけで十分重い上に、レイプ事件の被害者である女性と加害者の一人の男性が
共同生活をしている中で更にある事件が起きるというストーリーを紹介で読み、
複雑な好奇心を持ってみました。
2年ほど前の同じく吉田修一原作の「悪人」が余りにも衝撃的で、
以前ブログに書いたことがありますが、この悪人を少し思い出させる読後感があったのは、同じ原作者でもある彼のこういう答えの出せない問いを問い続けるという作風がそうさせるのでしょうか。
「さよなら渓谷」は、前評判通り真木よう子、そしてもう一人の主演の大西信満さんの演技は素晴らしく、充分それだけでもみる価値があると思わせてくれたのは良かったのですが、いくつか気になって考えてしまった点も実はありました。
例えば、真木演じるかなこがレイプ被害に遭った後にそのことがきっかけで破談になったり、結婚相手にDVを受けるようになったりということが、雑誌記者が取材をして明らかになる訳なんですが、結局時間が経っても自分は変わらない、変われないという罪の意識(実際に被害者なので罪はないのだけれど...)に一生苛まれて行くのだということが、嫌でもリアルに伝わって来る。
ですが、そこを敢えてその後に出て来る真木の回想シーンで描くことで逆にぼんやりしてしまったというか、視聴者のイメージにゆだねた方がすっきり納得いっていたという印象を受けました。
あと、原作との違いで最もひっかかったのは、加害者である大西が、実は事件を起こす前にかなこのことを気に入っていたという点。これが映画では表現されていなかったのです。罪をつぐなう時点になって”もしかして?”感じることはあっても、決定的ではない。敢えて監督はこのことをぼかしたかったのかもしれないのですが。
加害者と被害者の奇妙な共同生活、そして消えない罪の意識をかえって強くしてしまうかもしれない行動をとっている意味が、そのことで少し分かるような気がするのです。
でも、真木の告白によって留置所に入れられた大西に真木が会いに行き、ガラス越しに交わす会話のシーン、本当に秀逸で心に残っています。
やはり劇映画のいい所は、
最終的に現実よりも現実らしく描くことに成功した時だと思うのです。
そういう作品が投げかける問い、人の心に残すものというのは、
たくさんあって、時々私たちはそういうことを必要な時に思い出したり、
「あれは、こういうことだったんだな」と言って自分と重ねる。
そういう想像力も与えてくれるものだと思うのです。
一応離れていても受賞作品や受賞者は毎年チェックしています。
やっぱり旬の俳優さんや映画人がたくさん出ているのと、
「タイトルで敬遠していたけど良い作品」に出会える可能性があるからです。
その旬の一人、真木よう子がダブル受賞をしたうちの主演の方の作品、
「さよなら渓谷」。
先月日本に帰っていた時に、もしまだやっていたらみようと思っていたけど、
さすがにみれなかったので、iTuneでレンタルしてみました!
原作が吉田修一。
実際の事件(帝京大ラグビー部員の集団レイプ事件と秋田児童殺害事件)をモチーフにしているものですが、もうそれだけで十分重い上に、レイプ事件の被害者である女性と加害者の一人の男性が
共同生活をしている中で更にある事件が起きるというストーリーを紹介で読み、
複雑な好奇心を持ってみました。
2年ほど前の同じく吉田修一原作の「悪人」が余りにも衝撃的で、
以前ブログに書いたことがありますが、この悪人を少し思い出させる読後感があったのは、同じ原作者でもある彼のこういう答えの出せない問いを問い続けるという作風がそうさせるのでしょうか。
「さよなら渓谷」は、前評判通り真木よう子、そしてもう一人の主演の大西信満さんの演技は素晴らしく、充分それだけでもみる価値があると思わせてくれたのは良かったのですが、いくつか気になって考えてしまった点も実はありました。
例えば、真木演じるかなこがレイプ被害に遭った後にそのことがきっかけで破談になったり、結婚相手にDVを受けるようになったりということが、雑誌記者が取材をして明らかになる訳なんですが、結局時間が経っても自分は変わらない、変われないという罪の意識(実際に被害者なので罪はないのだけれど...)に一生苛まれて行くのだということが、嫌でもリアルに伝わって来る。
ですが、そこを敢えてその後に出て来る真木の回想シーンで描くことで逆にぼんやりしてしまったというか、視聴者のイメージにゆだねた方がすっきり納得いっていたという印象を受けました。
あと、原作との違いで最もひっかかったのは、加害者である大西が、実は事件を起こす前にかなこのことを気に入っていたという点。これが映画では表現されていなかったのです。罪をつぐなう時点になって”もしかして?”感じることはあっても、決定的ではない。敢えて監督はこのことをぼかしたかったのかもしれないのですが。
加害者と被害者の奇妙な共同生活、そして消えない罪の意識をかえって強くしてしまうかもしれない行動をとっている意味が、そのことで少し分かるような気がするのです。
でも、真木の告白によって留置所に入れられた大西に真木が会いに行き、ガラス越しに交わす会話のシーン、本当に秀逸で心に残っています。
やはり劇映画のいい所は、
最終的に現実よりも現実らしく描くことに成功した時だと思うのです。
そういう作品が投げかける問い、人の心に残すものというのは、
たくさんあって、時々私たちはそういうことを必要な時に思い出したり、
「あれは、こういうことだったんだな」と言って自分と重ねる。
そういう想像力も与えてくれるものだと思うのです。