気になる先輩 | queのブログ

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先輩というのはフォームといってよいだろうか。
コンテンツの対義としての。先輩とか社長とかチャンピオンとかなんやかやは言われずとも大抵知っている事柄
であるから、先輩というフォームを用いるのは厳密には、100パーセント自己都合で他人を排外するためのものである。
ぶっちゃけ社会に帰属する人格のものがほとんどなので、これは理解できないのかもしれない。
現在しゃれにならないとは、タブーに侵犯しているつまりペルソナに反しているとして使われるのは、
社会のフォームで自己より優位な他人を叩き潰す、ことが出来たもののペルソナが社会になってしまったのだ。私のせいではない。
世界は生きるに、ではなく、人間は生きるにではないのか?
ショーペンハウエルよ。
人間の意味がたくましい精神性であるならば、社会的な人間は何なのか。それは反精神性である。
法制度においてほぼ同一なる人格が9割を超える、このような時代があったのだろうか。
漫画、銀河鉄道999の文明の末路の星のワンシーンを見ているようなのだ。
いみじくも、そのワンシーンとして描ききえることこそが、批判の支点たりえ、世も末ではないことにはなるのだが。これは結果であり一例であって自然ではないということである。
フォームvsコンテンツねえ。