葬儀を終えて叔母4人(祖母にとっては娘)私と姉(祖母にとっては孫)姪3人(祖母にとってはひ孫)の9人で祖母の収骨(骨あげ)をしました。
祖母は晩年、両足の大腿骨を骨折し骨をボルトで固定していました。
また、70代で心臓のペースメーカーを埋め込んでいていました。
少し、不謹慎と思われるかもしれませんが火葬後それがどうなっているのか?ということをみんな気にしていました。
祖母の収骨をする時にボルト🔩2本とペースメーカーであろう塊が台の端に置いてありました。
不思議なのですが祖母の骨を見た時に火葬前にあれだけ悲しかったのが嘘のように穏やかな気持ちになっていました。
骨を骨箱に収める時はすごい量だね(本当にしっかりとした骨でした)とか、この太い骨は大腿骨かね?なんて話しながらの作業でした。
『おばあちゃん、すごいね』
『こんなに重いボルトなんだね』
『やっぱり、骨になってもおばあちゃんだわ』
と姪っ子達が話しています。
笑いが起きました。
『このボルトとペースメーカーはどうするのですか?』
と聞きました。
担当の方は
『今まで煩わせていた物だから骨箱には入れずに置いていかれる人もいます』
と答えられました。
私は置いていってもいいかな?
と思いましたが叔母達が
『持ち帰りたい』
というので骨箱とは別にして持ち帰りました。
私たちが祖母を連れて帰った時は御斎の最中でした。
祖母の遺影が飾られている前に、
今まで煩わせていたボルトとペースメーカーが置かれました。
やはりみんな興味があったようで見にきていました。
祖母は104歳の長寿でしたが決して健康体というわけではありませんでした。
私が中学生のころには心臓の発作を起こしていて突然苦しみ出す事がありました。
ペースメーカーを入れてからは発作も亡くなり日常生活を送れるようになりました。
ペースメーカーの電池当初5年毎(今はもう少し長いようです)に交換しなければならず手術して新しいものに変えていました。
80歳後半になってからの交換の時は
『これが最後の交換かもね・・・』
なんて冗談を言っていましたがそれから何年も元気でいてくれました。
祖母は糖尿病も持っていました。
甘い物が大好きだった祖母ですから甘い物を制限🚫するのは大変(してたかな?)だったと思います。
90歳を過ぎても
『糖尿病だからな〜』
『あんまり食べると太るからな〜』
と言いながらおはぎを食べていました。
私が『この年齢まできたら美味しい物、食べたい物を食べたらいいんじゃない?』というと「そうだよね」という顔で食べていたのを思い出します。
食べるのが大好きだった祖母。
食べる物で私たちの身体は作られているのだと身をもって教えてくれていた気がします。
(食べ過ぎだったけどね)
息子も食べる事が大好きで少し肥満気味だけれどほとんど病気をしないのは祖母がそうだったようにしっかりと食べているからかもしれません。
不整脈や糖尿病があっても祖母はそれと上手く付き合って人生を全うしました。
本当にすごいな〜
ばあちゃんを見てると食べる事がいかに大切なのかがわかる気がするよ。
【祖母が教えてくれた事】
病気(障がい)があってもそれと上手く付き合っていくことができること。
周りにいる人には無償の愛情をかけること。
(息子と主人を大事にしろといつも言っていた)
最後までシモの世話にはなりたくなかったという大正の女のプライド。
最後に教えてくれたのが命の終え方
しっかりと見届けました。
『いつまでも泣きまい(泣くな)』
とばあちゃんに頭を撫でられたい。