息子の利用するバス停の掃除を定期的に行っています。
開始当初は掃除するところが沢山あり
「今日はここだけ」
というのを毎日繰り返していました。
息子は手すりがないと階段を登るのに苦労をします。
その手すりはホコリをかぶってザラザラの状態です。
家から雑巾を持って手すりの上、下からもしっかりと拭きあげます・・・掃除を始めたのはそんな事がキッカケでした。
階段の窓や窓枠も時々、拭きます。
窓枠が汚いとそこにゴミを置くことに罪悪感が生まれないからです。
それでもたまにバスの待ち時間で飲んだであろうペットボトルやお菓子のカラが置いてあることがあります
階段を登るとそこには待合室があるのですが
週に2日くらいでしょうか、
決まった銘柄のタバコの吸殻が捨ててあります。
そのままだとここは捨ててもいい場所なんだと思われかねないのでしっかりと拾います。
待合室ということもありたまに、お弁当のカラも捨ててあります。
最初は
『なんで‼️(掃除しているのに)』
と思っていましてが
私がそれを拾ったら後から来る人が
『汚いな〜』
と嫌な気持ちにならない
と思うとそんな気持ちも多少和らぎます
私が思うのはタバコの吸い殻をそこに捨てる時は
『どんな気持ちなんだろう?』という事です。
自分が捨てた吸い殻が
次に来た時にない事に気づいているのでしょうか?
なくて当たり前と思っているのでしょうか?
捨てる人にとっては吸い殻を捨てるのに
躊躇するくらいの環境ではないのでしょうね・・・
月曜日の朝は必ずホウキ🧹と雑巾、ビニール袋と手袋を持参します。
週末に汚れてしまっている可能性が高いからです。
月曜日の朝にゴミが落ちていないと一人で嬉しくなります。
吹き込んでたまってしまった枯葉をささっと掃いて終了です。
たまに
『おはようございます』
なんて挨拶された日には
今日一日気分よく過ごせます
こんな事を偉そうに書いていますが
我が家は適度に物が床に置いてあり、
朝食で使った食器がそのままで
さっき、洗濯が終わったと洗濯機がピーピー鳴いているのにブログ書いてて。
どちらかというと
私はグータラの部類に入るのですが
バス停の掃除だけは自分で
勝手に使命感を感じています。
そしてそこから生まれる色んな感情を
自分なりに楽しんでいます。
誰かに強制されて掃除をしているわけではないので
【嫌なら止めればいい】と
ゆる〜く生きています。