何回か私のブログに出てきている祖母。




1年前まではデイサービスを利用しながら在宅生活を送っていました。



私の両親、弟夫婦、叔母(祖母の娘たち)の力を借りての在宅生活でした。



特養に入所の1番の理由はトイレの要求が頻回であった事です。

祖母は手押し車を使って100歳を過ぎても自分で排泄をする事ができました👏👏



しかし、転倒をきっかけに見守り介助が必要となりました。

祖母の脅威的なところは転倒の際、大腿骨を骨折したのですが手術ができた事です。


100歳も過ぎると骨がスカスカになりボルトを入れる事はできないそうなのですが何とそれが可能で全身麻酔にも耐えられるだろうという判断がなされました。



骨粗鬆症の私からしてみたらまさに『神』(?)


不安な点は全身麻酔をかけると認知が進むと思っていましたしやはり手術直後は何となくぼんやりすることが多かったと聞きました。



その後の生活は車椅子生活となりました。



実はそこからが大変で祖母の排泄へのこだわりが始まりました。


幸か不幸か祖母は車椅子ではありましたが立ち上がる事ができました。

排泄の介助の面を考えれば立ち上がれるとそうでないのと比べればその差は歴然です。


排泄の要求は20分おきくらいにありました。

トイレまで移動→ズボンを下げ便器に座らせる→ズボンを上げ車椅子に座らせる→居間に移動。

排泄の間は外で待っていなければなりません。



日中はデイサービスのお世話になるのでその間はいいのですが夜間は大変でした。

母、弟夫婦、叔母らが交代で祖母の世話をしました。



もちろん短期入所も利用しましたが当時の祖母の介護度は介護2。

骨折による認知機能と身体機能の低下はまだ介護区分変更は行われていませんでした。



そうなると、家族中のイライラが始まりました。

特に酷かったのは母でした。


母も認知障がい(認知症の前段階)で感情のコントロールが上手くできなくなっていました。



母の事は以前ブログにも書いてあります。

よろしければご覧下さい。




結果、色んなストレスが弟夫婦にも行きついに弟夫婦と私の両親は別居するにいたりました。


80歳を過ぎての2人暮らしとなったのです。

このことに関しては別の機会にと思いますが弟夫妻との別居は正解でした。




そんな祖母ですが半月ほど前に父から

『(祖母が)熱が出た』と連絡が入りました。


熱が出たくらいでワザワザ連絡くれなくても・・・と思ったのですが年齢が年齢なだけに色んな意味で覚悟が必要な状況だったようです。



熱の原因は足の爪を切った際、そこから菌が入り熱が出たとの事で抗生剤で熱は下がったそうです。


口からも何とか物が食べれるようになったと聞き、

【不死身だわ】と思いました。


叔母と話をする機会があったので

『少し、心配したけれど105歳まで頑張れそうだね』

と話していました。



その数日後、また父から電話がありまた熱が出て今度は全く物を食べなくなったというものでした。



東京に住む姉は父からの電話を受け翌日、祖母に面会に訪れたました。

私も同行しました。


面会の際、車椅子で送られてくる祖母は小さくなっていました。


手はいつもふっくらしていましたが明らかにそれとは違いました。

肩を触ると骨が触れました。

こんなに華奢だったっけ?


姉と一緒に写真を撮りました。




祖母の人生、下り坂はとっくに下ってるわけで・・・

坂が平らになったり少し上ったりしながら下り坂のゴールがどこかってことでしょうか。


これは【自然の摂理】です。