いつからか母のことをかわうそに似ていると思っていた。

最近ふとしたきっかけで、その連想が

向田邦子の「思い出トランプ」の中にある「かわうそ」から

きているという記憶がつながった。

 

「かわうそ」を読んだのは多分10代。

 

少女のような無邪気さと憎めない可愛らしさを持つ一方で

かわうそのように遊びで狩りをするような残酷さが垣間見える妻が出てくる。

 

10代の私は、言葉にできない母への漠然とした違和感を「かわうそ」と理解したんだろうと思う。

 

障害児の支援関係機関を始めて訪れるとき

必ず聴かれる親類縁者のサポート状況。

 

クソ真面目に答えているわけではないのだけど

母との関係を考える時、頭の中でやはり言語化にできずいつもモヤモヤする。

 

虐待どころか、親としての役割はきちんと果たしてくれたと思う。

衣食住も、お弁当も、手作りの手提げも。

 

息子を受け入れてくれなかったわけではない

むしろ可愛がってくれた。

 

そんな子ども思いの母とどうやったら絶縁まで至る必要があるのか、

第三者的には全然理解できないだろうと思う。

 

例えば、

稽留流産の入院中に家のことも代わりにやってくれて

心配して見舞いにきた病室で

「妊娠はできるのねぇ」

とボソッと独り言のようにつぶやいたから。

そんなことが理由ではない。

 

うまく説明できない。

例えば3行で的確に手短に。

 

かわうそみたいな人なんです。母のペースで気持ちを乱されたくないんです。

或いは

障害児の孫を持つ祖母を演じることをイベントのように楽しんでほしくないんです。

 

とでも言うのか。

誰もわかってくれないだろう。

 

そもそも誰に分かってほしいんだろう。