身体面でも経済面でも年齢的にも 

一切、社会的弱者には当てはまることなかったわたしが

思いがけず 社会的弱者の息子を持つことになり

人の痛みのわかる少しは慈悲深い人間になるのかなと思っていた。

 

車の中でいつも聴くラジオのお悩み相談。

軽妙な回答がおもしろく、

何か相談することができないかとずっと思っていたら

思いがけず 相談するには重すぎる悩みができた。

 

相談者のクソみたいな悩み。

それで悩んでたら、障害児がいるワタシはどうなるよ。

毎回思う。

 

そう言えば、と思い出すことがあった。

産後すぐに会いにきてくれた知り合いのおばさん。

育てられない、と泣くわたしに

「重度の自閉症がいる近所の若いお母さんも頑張ってるんだから」

と言われ、すーっと気持ちが冷めていった。

 

もっと不幸な人がいるんだから、わたしは不幸じゃないと言うのか?

人間は 下を見て安心して、だから頑張れるのか?

例えば、愛情に飢えた子どもは、眠れる家がある分、難民の飢えた子どもより不幸せじゃないのか?

 

心が痛いものは痛い。

他人が不幸をマウンティングすることじゃない。

 

でも、明日もきっと呟いてんだろうな

クソみたいな悩みだなって。

 

慈悲深い人間への道のりは果てしなく遠い。