諸君は夏になると怖い話しを聞きたくなるだろう。その民意を反映しているか否かは定かではないが、テレヴィジョンでも夏になると「恐怖映像百連発」なぞと称して愚にもつかぬ映像を連発している。諸君は思うだろう。「今は冬だぜ。時代遅れな奴め。今は冬だ。そんな話をするな。忌々しい」もし、そう思ったとしたら馬鹿である。なぜなら夏だから。
昔は私も夏を冬だと錯覚するほどの阿呆だった。というか夏と冬が弁別できなかった。季節感というものが全く、と言って良いほど無かったわけだ。皆がスエターを着ている時に長袖シャツを着るなどしていた。また朋友が「いっやー今日は寒いね」と言う時も全く理解できず「確かに」と言って同意した振りをしていたものだ。そんな私も今や完全完璧に100%の精度で温度感覚を感知できるようになっている。なぜか。噓から出たまこと、とでも言おうか。先に述べたように、温度感覚を感知した振りをしていた訳だが、それらの、ある意味での嘘を繰り返す内に身体感覚と言語感覚の連携が密になり寒さを寒さと、或いは、暑さを暑さと理解できるようになったのだと、私は愚考する。この理論に従うと「子供は風の子」というのは子供は阿呆だから言語感覚と身体感覚が遊離しており、寒さを寒さと感じないからではないか、なんて思うことは盆暗だろう。とまれ、小学生の頃、真冬にに半袖半ズボンで過ごした諸君におすすめなのは田西力著「しらすちゃんの心の羊」だ。
率直に述べる。「しらすちゃんの心の羊」は児童文学の傑作だ。しらすちゃんの心の奥に羊が現れ、羊ちゃんの心の中にも別の心があるという多重構造をなしており、しらすちゃんの試練の旅で行き着いた、心の奥の奥の最も寒いところは西方浄土であり、そこで作者高笑いを笑っているという恐ろしい話。
おれは貧乏性だ。貧乏性はおれだ。これら二つの意味を点検する。そして精神の運動場にぶち撒け、大事に栽培する。この意味が分かるか。この書を読めば分かるようになるだろう。
お勧めです!