汝らは旅行に行けばパチリパチリと寫眞を撮るだろう。人間は過去を失いたくないから必死になって記録を残そうとする。これは読んだ本を書架に大事にしまっておきたく思う精神と似ている。「過去を失いたくない」そんな願望を持つ汝らには救いの書となる世田谷二郎『土産物の片口鰯』を紹介する。

 

文学作品を解釈するにあたって重要なのはタイトルの意味を理解する事だ。そこで、タイトルの解釈、これをやっていこうと思う。

 

まず、土産物。土産物とは「土産にする品物」だ。人間は何故、土産物なる面倒な代物を知人や縁者に配って回るのだろうか。土産物を配って回るのはエスエヌエスなどで「うまかったよー」などと吹聴するのと全く同じ心理が働いている。つまり、「自慢」というのが根底にある。土産物とは自慢が外部化されたものなのだ。あからさまに自慢をすると角が立つ。私が幼い頃、同級生が屡々、自慢していた事を思い出す。「旅行に行ってふかふかのベッドで眠ったんだ」と。旅行に行けなかった私は奥歯を噛んだものだった。やはり人として、そんな事を言われると「これは……」と思う訳だ。この感情を知っているが故に人々は土産物を媒介として婉曲的に自慢をする。(おれはこんなにも素晴らしき生活をしているのだ)という事を……。ここにいたって「土産物」の意味が明らかになった。つまり、土産物は自慢のメタファーである。

 

では、「片口鰯」とはなんであろうか。片口鰯は字面から明らかなように「口が頭の片側に寄っている鰯」である。要は不細工な奴という事だろう。恐らくはジョン・タトゥーロの様に顔面が曲がっている人のことを指している。

 

以上よりタイトルから分かる事は「自慢しようと買って来た土産物が不細工な代物であった場合、自慢にはならない」という事だ。

 

多くの人々は「だから何だよ。それが何の役に立つんだよ。死ねよ。」とラジカルに思うだろう。だが、違う。どう違うかは世田谷二郎「土産物の片口鰯」を読んで是非とも味わってもらいたい。