諸君はどんな毎日を送っているだろうか。私が思うに愚劣な毎日を送っている事だろう。なぜならジーニアスな私でさえ愚劣な毎日を送っているのだから、より低い平面にいる諸君も然りという事になるから。ソ連の著名な物理学者でレフ・ランダウという者がおる。レフはライオンという意味だ。ランダウの意味は知らぬ。彼の残した言葉にこういった物がある。

 

 俺は君らより高い平面にいる。だから、馬鹿にされても痛痒を感じぬ。蚊に刺されて本気に腹を立てる者が居ないように、俺は君らに腹を立てない。

 

まるで、夏目漱石「野分」に登場する白井道也のようだ。ランダウと白井道也と俺の魂の位置は近い!そう感じた。今回紹介する猿門日出夫「無能の一日」は俺と白井道也とランダウの思想を結晶したような稀有な小説であるので紹介したいと思う。所謂ブンガクを読んで感じる「こいつは俺と同じだ!」と思わせるような陥穽に俺もまんまとヤラレタ訳だ。だが、まあ、これを読んで共感するのは俺のような天才に限られると思う。諸君のような愚劣な民も俺を目指して頑張って頂きたい。そのはじめの一歩としてこの小説を読んで見たらどうだろうか、と思う訳だ。有り体に言えば啓蒙ですね。

 

タイトルの『無能の一日』とは何であるか。これについて研究していこう。無能とは辞書によると「能力・才能がないこと」とある。決して「無脳」ではない。脳が無いと生きていけないからね。俺はこのことを小学生の時、ヌミコ先生から学んだ。俺が間違えて「無脳」と書いた事をあげつらい嗤いものにしたから良く覚えている。罵られた事によって新たな知識を頭脳のうちに強く焼き付けれることができたのだ。太宰治は名作『ヒューマンロースト』の中でこの事を称して「笑われて、笑われて、つよくなる。」と表現したのではなかったか。俺が天才になったのはこのように嗤われて生きてきたからだ。本書の作者はこのように「笑われて、笑われて、つよく」なった者の白い目で見た世界を様々な作品の中で繰り返し描いている。諸君もご存知かもしれないが批評家の間では「露悪的だ。」だの「女性蔑視ではないか知らん。」だのとトンチンカンに評されている前作『チンポコの美学』という作も実こそ例の「白い目」が通奏低音として確と存在している。『チンポコの美学』は実存的不安がチンポコから漏れ出してしまう男の物語をSci-Fiの手法を用いて寓話的に描いた作品だ。これは、明らかにフィリップ・K・ディックの影響下にある作品であり、奇異なタイトルも実は彼に対するオマージュなのだ。(Philip K DickのDickは俗語でチンポコの意味である。おもろ。)

 

本作『無能の一日』は打って変わってリアリズムの小説になっている。タイトルもかつての自然主義文学のように味気ない、色気のない感じになっている。が、これは意図的な事で作者の「リアリズムでいったる!」という決意表明である。無能の一日』は世間的には「無能」とされている人間の嗤われて強くなる人生の或る「一日」をスナップショットとして切り抜いたような小説だ。もちろん「白い目」が通奏低音として流れている。

 

本書は世界に受け入れられなくて悩んでいる諸君に是非読んでほしい。世界に受け入れられない事こそが最も気高い事だと言うことが明らかになるから。また、頭の悪い諸君にもオススメの小説である。人を嗤い者にする事は自分自身を滅ぼす事に繋がる事が明らかになるから。天に吐いた唾は畢竟自らの顔面に降り注ぐのだ。