今回は赤毛允「死児のシステム」を紹介しようかな。電車やライブハウスなどでの人間が密集する場所でリュックザックを背負い恬然として恥じることのない連中に殺意を抱いたことがある諸君は屹度気にいる小説であろう。
試みに冒頭を引用してみましょう。
桃色三郎は大学院生である。彼は思っていた、眞物のつけ麺が喰いたいと。学食にあるようなケチくさい紛い物ではなく眞物ののつけ麺を。かように彼は俗物であった。とり澄ました態度で「旨いものが喰いたい」と平気で言えるようなGUYであった。これは「良い女とまぐわいがしたい」と、平気で言えるGUYと同等のGUYである。汚らわしい事この上ない。併し非常に正直なGUY、もしくは、偽善なるものを嫌うGUYと言うこともできる。実際、昨今のテレヴィジョンに見られるような表面上を取り繕った言葉を厭悪するため、わざと所謂「差別語」を用いる傾向もあった。だから、三郎は「キチガイ」やら「土人」などという、世間的には忌まれている言葉をあえて使っているくらいだった。そんな、三郎がつけ麺を喰いたいと思った。自分ちゃんの心を仔細に点検してみた結果、そう思ったのだから仕方がない。ンな訳で行くことにしたのだ。ルルル。だけんども一人で行くのはいかにも心細い。三郎は学友のショー君を誘う事にしたんだ。
「時に君、バイザウェイ君、つけ麺でも喰いにいかんかね」
「うん、僕は止すことにするよ。なぜと言うとマニーがないから」
「つけ麺を奢ると言ったらどうだろう」
「へ、へ、へ!ぢゃあ行こうか」
「よかろう、でも君、露西亜文学みたいな笑い方はやめ給えな」
「あい」
ここまで読んで俺は本を投げ捨てようと思った。なんて舐めきった内容だろうと思ったからである。(貴様のつけ麺なんか知るかミジンコ野郎!)、または、(殺すぞバカ、後天的バカ!)と思った。しかし、ここで打ちやってしまってはMottainaiと外国の人に怒られるだろう。なぜなら「全体」を把握すれば、この「部分」が光り輝く、という事が明らかになるからである。どのような光か?ピカドンの閃光か、それとも、純粋悪の輝きか。それは、赤毛允「死児のシステム」を読んで全身に浴びて味わってもらいたい。
