このようにして、ウェブログなんか始めたのは何故かというと、昔あったことを覚えておきたいなあ、忘れたくないなあ何て事を思ったからである。こんな事を言うと脇から意地悪な人が出て来て「そんな事はチラシの裏にでも書いておけよ、あるいはマイブック20××年の記録とかにね」と言うかもしれない。蓋し正論であるのだが自分自身しか読まない文章を書くという作業は、どうにも味気なく人に読んでもらいたいなあという欲望押さえきれず、これまで白眼視してきたウェブログというのに手を出す事になった訳なんだ。
という事で今回は昨日(二月三日)の事について記す事にします。昨日というのは自分自身が外界から異様な感動を受け、そのため、おかしげな焦燥を感じ、往来を往来するときに矢鱈と独り言を呟く、もしくは十分の内に煙草を二十本くらい吸ってしまうというような狂人のような有様と成り果てた日である。こんな事になったのは久しくなく、自分がとても若く何にでも感動していた頃の情感・情熱というのを思い出し嬉しく思う反面、これまで、いかに無感動な生活を送ってきたかという事実に戦慄したんだ。何があったのか? 高円寺のジロキチというライブハウスで町田康というパンクロックの歌手が歌っているバンドである「汝、我が民に非ズ」の実演を観に行って来たんだ。
小ぢんまりとしたライブハウスの後方、ビニール張りの丸椅子に座っているのは私。私はそこで素晴らしきミュージックを聞いているのだ。覚えている限り曲目を順不同で書き出してみる。
「RB」
「リターン」
「急に雨が降ってくる」
「いろちがい」
「今日の午後」
「かくして私の国家は滅んだ」
「白線の内側に下がってお祈りください」
「貧民小唄」
「手紙節」
「情熱だけの人生」
「野菜食ってゴーゴー」
「つるつるの壷」
「君が好きだった歌」
もっとあったと思うけれどちょっと思い出せない。思い出せないという事は印象に残らなかったという事で自分の好きな曲ではなかったのだろう。でも上記の曲はとても印象に残ったんだ。「部長サイコー」という間抜けフレーズを格好よくシャウトしたり、もしくは、アンコールのラストの「君が好きだった歌」は非常に情感のこもった歌いで感動、「サヨナラー」というシャウトで私は思わず泣きそうになってしまったとかね。まあ、何と言っても歌はモチ最高なんだが、歌っている時の身振り手振り、これがまた素敵なんだねクールなんだね。リズムの取り方、指でファックサインを作り手の甲を向けるのではなくして手の平を向けて中空に揺曳させる、顔をブルーズのギタリストがギターを弾く時のような顔にするかと思えばニッコリ笑ったりするなど観ていて楽しい。残念だったのは「人間の捧げもの」という楽しい楽曲が今日は演奏されなかったという事じゃね。
曲と曲の合間に町田康の喋りがあり、そこでは本記事の冒頭で述べたような「記憶」についての話、「格差はなくならない」という話が持ち上げられていた。私は阿呆であるのでうまくまとめられないし、町田康が述べたかった事とは違うかもしれないが大意は次のようだったと思う。記憶の話については「悲しい事、辛い事などある程度は忘れることができるので人間は生きていける」格差の話については「富イコール時間なので分配不可能」まあ、これだけ読んでも意味不明ではあるが町田康の喋りは非常に説得力があり、その場では大いに納得させられた。また、阿呆な客が阿呆な質問をしているのも面白かった。
