んー。

『海辺のカフカ』についてまた考えてみました。


ミクロの世界(量子場)の住人-カフカ2


以前の考察はここ↓です。あらかじめ読んでもらえると恐縮です。
『海辺のカフカ』の感想&解釈[1]




今回はこの『海辺のカフカ』という作品のテーマについて考えてみました。


ずばりテーマは

不条理な暴力に対する憎しみ

ですかね。

う~む。
はじめは「戦争」かと思いましたがこちらのほうが僕はしっくりきたので。

それでは説明をしますぅ。

※チョー勝手な解釈なんで。ご了承ください。

この物語は恋人を殺された女性、佐伯さんが発端だと思います。

彼女は勘違いで殺された恋人の死を悲しんだと同時に、そんな世界に対し憎しみを抱いたことは容易に想像できます。

そして、彼女はあっちの世界の扉を開けたのだと思います。
(あの石をひっくり返して。)

その時、彼女は憎しみはあっちに世界追いやることが出来た。
しかし、悲しみは彼女の中に残ったままで、さらに彼女の一部もあっちの世界に。
彼女は非常に不安定な存在になってしまった。

そして、彼女の開けた扉は時間を越えて戦時中の日本とつながる。
(これは以前の海辺のカフカ』の感想&解釈[1]に書いてます。)
戦争では多くの憎しみが生まれました。
時間をも越えて扉をつなげたのは憎しみだったのだと思います。

その後、田村浩一と出会い、結婚する。
悲しみから開放されるため?

子供が二人生まれ、その第二子が主人公の一人、田村カフカと名乗る少年です。

彼女はまだ幼い彼だけを浩一の下に残し、家を出ます。

彼女が彼を残したのは自分の過ち、扉を開けた過ちを解決する存在を残しておくため?


残された彼は父親に虐待を受けます。
そして、父親に対する憎悪心を抱きます。

その結果生み出されたのが「カラス」と「ジョニー・ウォーカー」です。

カラスは自分。

ジョニー・ウォーカーは卑劣な男。憎むべき対象の父親。


父親への復讐はずっと彼の想像の中だけで行われていました。

その様子を物語っているのが下巻の最後のほうの「カラスと呼ばれる少年」の章です。
この章を読んで分かるように、復讐は成就しません。
カラスが攻撃してもジョニー・ウォーカーは平然と笑い続けているのです。

なぜか?

カラスが薄っぺらい幻影にすぎないからです。

しかし、これを現実のものとした存在がいます。
つまり、実際に父親への復讐を達成させた存在。

それがナカタさんです。

彼はカフカ少年代わりに父親を殺します。
それは彼に対する憎しみからです。
猫を殺されたことに対する、卑劣な暴力に対する憎しみです。

彼がここまで卑劣だったのはカフカ少年の想像がそうさせたからです。
あるいはナカタさんにそう見せたから?

なぜ、カフカ少年の代理がナカタさんなのか?

彼は佐伯さんが開けた扉からあっちの世界に入り、彼の中には憎しみのカタマリであるあの「白いもの」が入ってます。

これも佐伯さんの過ちの結果です。

そして、ナカタさんは彼女の過ちの被害者でもあり、カフカ少年と共にそれを解決する存在だったのです。

解決のためにはカフカ少年の復讐を達成し、カフカ少年がその責任を負う必要があるからですかね?
(んー。このへんがまだ考えがまとまってません。)

だから、ナカタさんは彼に代わり彼の父親を殺さなければならなかった。

ナカタさんがカフカ少年の父親を殺して、カフカ少年がその責任を負うことが出来るのか?

それは出来ます。

アイヒマンの話及び大島さんの言葉

すべては想像力の問題なのだ。ぼくらの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。 In dream began to responsibility.―まさにそのとおり。逆に言えば想像力の無いところに責任は生じないのかもしれない。

がそれを物語ってます。

つまり、カフカ少年が父殺しを想像した段階でその責任は彼にあったのです。
まあ、だからナカタさんはそれを現実のものにしただけだったってことですね。


その後、ナカタさんは再び扉を開け、カフカ少年を通し、カフカ少年は佐伯さんの存在を記憶して残した。

そして、ナカタさんは佐伯さんの記録、いや、佐伯さんの存在を受け取り、それを燃やした。

こうして、彼女の存在をカフカ少年の中に移す作業は終わった。

彼に許してもらい、彼の中だけの存在となり、彼女の過ちは解決されたのかな?
(この辺も考察が不完全です。)


うむ。
この物語の意図ですが・・・


今まで僕は散々この作品が佐伯さんの過ちを解決する物語であるように言ってきたが、実は違うと思います。

彼女の過ちは必然だったと思う。





この世には不条理な暴力が存在します。

それは戦争であり、一人の人間の死であり、猫の死であり、子供に対する虐待です。。



この不条理な暴力に対する憎しみを背負う人が必要でした。

それが佐伯さんであり、カフカ少年であり、ナカタさんだったのだと思います。


以前すべての人間の罪を背負った男がいましたが

この物語は現代の不条理な暴力に対する憎しみを背負った3人のメシアの話だったのかもしれないと思いました。

んー。
かなり思考暴走気味ですかね(苦笑)

最後に念のために。これは僕の勝手な解釈です。
妄想に近いものです。他にももっと優れた解釈をしている人も多いと思います。
非常に考えさせられる興味深い作品だったと思います。


また、気付いたことがあったら書きま~す!!

では!