後醍醐天皇の御譲位

 

「天皇の御位を取り敢えず第一皇子尊良親王に譲位するが、将来必ず第一皇子守永親王に御位を譲ってくれ」と條件を付けられて、延元元年〔1336年〕十月九日、比叡山に於て、後醍醐天皇は第一皇子尊良親王に御位を譲られたのであります。

 

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №4 第一章 第1分冊より)

 

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日本国再建の道は開鏡維新(天の岩戸開き)にあり!

 


 

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

 

南 朝 正 副 両 系 統 譜

 

 

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)

 

後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-大宝天皇-----三浦芳聖
-義良親王――――――寛成親王-綾子皇后-大宝天皇
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-光良親王----睦仁親王

 

 

 

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