参考図は大山―升田戦第1局の23手目、▲3八角まで。
棒銀対策の△5四角は“決定版”かとまで言われ、先手有利にする応手が見つからなかった。△5四角に▲2六飛とか、▲3六角の合わせ、あるいは単に▲5八金(大山はこれを最善手と言っていた)などが試みられていたわけだが、升田は一つの新手を思いついていて、
「この手を試す相手は、大山君に限る」
と心に決め、じっと温めていたのだ。
「角には角」の単純な原理である。どうして他の棋士が気付かなかったか。今の人は不可解に思うだろうが、あらゆる定跡は試行錯誤の繰り返しにほかならない。当時の棋士には「敵がナマ角を手放すのなら、こっちは持ったままで、何か有利になる順があるはずだ」という先入観念があたのだ。
倉島竹二郎の観戦記によれば、全局東京で行われるのは、病後の升田の健康を配慮したからだそうである。そして、升田▲3八角のときの見出しは、
「体を張った新手」
とある。
大山は参考図に直面して47分考え、△2二銀と引いて2筋の歩交換を許した。現代の定跡で最善手とされる△4四歩突きは、五十嵐豊一九段の創案だったと記憶する。
この将棋は中盤で双方にミスが出て、一時千日手模様にもなったが、139手で升田が勝った。大山は9時間56分、升田も8時間4分を使って精魂を傾けた。
第2局は大山の先手番で相矢倉。升田は相手のお株を奪って銀矢倉を採用し、激しい攻め合い。136手までで升田の連勝となった。
倉島の観戦記は、
「次は指し込み成るや成らざるやのカド番。大山はかつてない苦境に直面したが升田もまた肉体の面で苦しい戦い。今さらながら勝負の世界の苛烈凄壮さに胸がうずく」
と結んでいる。
(続く)
