「升田幸三物語」 第49話 ③ | クオの別世界

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 延期されたその第3局は、1月15、16の両日、三重県の「志摩観光ホテル」で行われた。

対局開始前、駒を並べながら木村名人が、窓外の英虞(あご)湾を眺めて

「いい景色だな」

と語りかけると升田はニベもなく答えた。

「景色を見に来たわけじゃない」

 第1、2局を背広で指した升田だが、この日は羽織ハカマ。名人戦の時から引き続き禁煙し、アメをかじりながらの対局である。升田の右脇には水差しが用意されていた。木村が、灰皿をいぶらせる“煙攻め”で来たら、直ちにぶっかけて消火するためである。


先番升田が角換わり腰掛け銀を望めば、木村は第2局の逆で、△6三銀型のまま間合いを計り、長考の繰り返し。第2日の夕刻、千日手模様を打開して木村が仕掛けたところで、持ち時間10時間のうち木村は約8時間、升田も7時間以上を消費していた。

 終盤、木村は1分将棋。形勢も不利。記録係が汗ばむ手で時計を握りしめて叫ぶ。

「50秒。55秒……」

「間違えたかなあ……時間がない。弱った」

「名人、指して下さい! 行(い)って下さい」

 明らかに時間が切れていたと、升田も、立会人の上田三三(さんぞう)六段も後で言っている。(50秒から1、2、3と読むように改められたのはずっと後の昭和29年)

 当時の棋士気質は、相手の時間切れや反則をとがめることを、潔しとしなかった。

 一方の木村も、不戦勝でカド番を逃れたと後世言われるのは業腹だから「延期でいいよ」と応じたのである。勝負は、あくまで盤上の技で決したかったのだ。

 188手で木村の逆転勝ち。升田の3連勝(王将位獲得、指し込み)は成らず。

 第3局直後の20日に、木村と升田はNHK杯戦の決勝を戦った。升田は完敗した。

「僕がポカをやったとたん、木村さんは例の得意のポーズで、タバコの煙をぷーっと吹き上げたんだな。しゃくにさわったわい」

 その上、東京からの風聞では、

「オレが指し込まれるこたあ、もうねえよ。安心しな」

と側近に豪語したという。

 時間切れを見のがしてやったのに、そういう態度なのか、名人は。升田のファイトは、めらめらと燃えた。

 第4局は1月28、29の両日、熱海の「東西(ひろめ)荘」で行われた。升田は、愛蔵の日本刀を持って対局場に乗り込んだ(ヤクザの話とは違う。升田は剣道の有段者で、ちゃんと認可を取った真剣を持っていたのだ)。

 初日の朝、衣服を整えた升田は、自室で日本刀を抜き放ち、白く光る刀身を凝視していた。ふつふつと、闘志が湧き上がる。

「升田先生、時間になりましたので……」

 知らせに来た記録係の藤代三郎少年は、ふすまを開けたとたんに腰を抜かした。白刃が、自分の方に向けられていたのだから怖かったろう。

 少年は、廊下をはうようにして対局場へ逃げ戻ったが、手のふるえが止まらず、観戦記者が記録をとった。立会人が急ぎ東京から交替要員の北村昌男を呼び寄せた。

 先番木村は筋違い角戦法を採用。升田の新手△5六歩から豪快な攻めが決まり、圧勝。

 第5局は2月11、12の両日、大阪府高石町の「羽衣荘」で行われた。

 再び、木村のカド番。しかし不世出の名人とうたわれた木村は余裕を示す。対局前には庭に出て、羽衣荘自慢の海水魚を眺めたり、升田と共に写真撮影に応じた。盤に向かってからも、立会人の上田六段や、解説担当の大山九段、北村秀治郎七段らに向かってにこやかに話しかけた。升田も礼儀正しく振る舞った。

 升田先番で角換わり腰掛け銀模様だったが、木村は30手目、△5四銀と出る一手に112分の長考。升田は、▲4七銀型のまま▲2九飛から▲4九飛と回る作戦を本局でも採った。

 樋口金信の観戦記の結び。

「敵の2六桂打ちに、両手を震わせた木村名人、直ぐ駒を投じて『ああ、これまで』

凛(りん)然たる一言、“名人、半香に指し込まる”歴史的な瞬間だというのに、升田は無表情のまま、おしぼりを取り静かに顔をぬぐった。」

 升田、4勝1敗で王将位を獲得。同時に、宿敵木村名人を半香に指し込んだ。

 升田が“名人に香を引く”第6局は、2月18、19の両日、神奈川県鶴巻温泉の「陣屋」で行われることになっていた。


(続く)