「升田幸三物語」 第32話 ② | クオの別世界

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木村名人に連勝


東公平著「升田幸三物語」(日本将棋連盟発行)より全引用


「半香で勝ち、平手でも2勝したら第5局は僕が香を引く」

升田は樋口と黒崎にそう言って、ニッと笑った。

 9月17日、第1局。木村名人は対局場、宝塚の旅館「さくら」(女将は升田の実妹)に泊り、升田七段は別の宿からやって来た。その前夜、木村と、関西びいきの樋口記者との間で、第3局以降の手合い(駒割り)についてひと悶(もん)着あり、立腹した名人が「そんなこと言うなら僕は指さないで帰るよ」と立ち上がるシーンが見られた。

 後年の“陣屋事件”の萌芽は、この時にチラッと姿を現している。

 驚くことはもう一つある。持ち時間は、対局開始直前の話し合いで決まった。

「名人。2日制だから10時間ですか」

「君しだいだよ。順位戦と同じの7時間で、なんなら徹夜で指し切ってもいいんだよ」

 戦いは前夜から始まっているのだ。中をとって2日制、9時間と決まった。記録係は灘照雄三段(本名照一、のちの蓮照九段)。観戦担当記者は、囲碁の橋本宇太郎八段(当時)

 香を引いた名人は、初手合わせと同じ形の四間飛車。升田はなんと棒銀。「棒銀を受けるのには振り飛車が安全」とされていた当時の定説に挑戦した升田は、90手で完勝した。

 対局中に当然、舌戦も激しかった。武庫川の川音がうるさいので升田が言った。

「部屋を変えますか」

「君しだいだよ」と木村。

「僕は平気だ。大砲の音で耳にタコ」

2日目の午後5時に終局。仮住まいの福井からやって来た木見金治郎八段に木村は言った。

「升田君は強くなりましたよ。うまく負かされました。八段に遜色ありません」

 八段ね、と升田は内心、木村の強気にあらためて感心した。

 第2局の平手番は、近くの「宝楽」へ移動して中1日休み、20日の朝から行われた。

 写真のほか、中村治之画伯がスケッチを描き升田の自戦記も添えるという趣向で2ページの夕刊紙『新大阪』は飛ぶように売れた。

 戦型は相懸かりで升田の早繰り銀。木村は中央から反撃し、成功……と見えた時にポカ。

「いけねえ」と名人が叫んだ。アマ初段にも分かるような手を身落とした。粘りに転じたが効なく、79手で升田連勝。木村は8時間余を使い、升田は5時間以上余した。

 升田自戦記の一節を引用する。

「落人(おちうど)にとっぷり日は暮れ果てて鳥の羽ばたきにも捕手と見まちがう、戦慄にさも似たり。名人がうち震う手で玉を握りかけたが、しばし思い止(とど)まって」

 大名人の狼狽(ろうばい)ぶりを、新鋭七段は冷ややかに見下(くだ)していた。

 終局の翌日、岸田幸雄兵庫県知事らを招いて木村名人との懇談会。続いて夜、大阪で木村名人の講演会が開かれた。升田は復員服姿で聴衆の中に混じっていたが、司会の樋口が、

「この席に名人候補升田七段がいます」

と紹介するや、「升田君万歳」の声が湧き起こった。木村にサインを求める人もなく、大名人も置き去りの姿。

 宿に戻った木村は、日本奇術協会会員の腕前でトランプ奇術を披露して機嫌を直す。

「升田君は強いや。今の八段に平手なら、この木村がじっと腰を沈めますと、ふっ飛んでしまうんですがね、1尺も2尺も」

 黒崎編集局長は、升田の新大阪新聞入社を打診した。5000円の月給を提示。いかにインフレ進行中といえども昭和21年の5000円は破格である。この人物は毎日の屋台骨を支えた事業家で、のちにプロ野球パシフィックリーグ創設に関与し、役員にもなった。

 升田はすでに朝日新聞再入社(月給500円)が決まっていたので黒崎の申し出を感謝しつつ断った。木見師匠の後がま、毎日新聞の嘱託にはすでに大山康晴六段がすわっていた。

 第3局は、延期された。大成会幹部は中止を求めていたのだ。

 升田は大人になっていた。講演も実は苦手で、1分間スピーチでお茶をにごしていた六段時代と打って変わり、新聞社の講堂で1時間半の「木村名人を語る」をやってのけた。


(続く)



心に、体力。体に、知力。

ぶりぶりブリッツ