連載エッセイ 「へべれけ!コンバット」 どひょひょーんの真相 | クオの別世界

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学生時代に書いた初々しい小説、コピーライター時代を語る懐かしいエッセイ、そして文章家として活動する日々の合い間のエッセイや小説を掲載しています。



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へべれけ!コンバット ANSWER




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上の写真は、青森県弘前市の観光名所のひとつ、弘前城。江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として聳え、津軽地方の政治経済の中心でもあった。1603年(慶長8年)から1611年(慶長16年)にかけて、初代藩主・津軽為信(ためのぶ)および二代目藩主・信枚(のぶひら)によって5層5階の天守が建てられたのだが、1627年(寛永4年)に襲った落雷によって焼失。その後約200年にわたって天守の無い時代が続いた。現在、国の重要文化財に指定されているこの3層3階の天守は、九代藩主・寧親(やすちか)によって1810年(文化7年)に建築されたものだ。かの司馬遼太郎先生は、著書「街道をゆく‐北のまほろば」のなかで「日本七名城のひとつ」と、この城の美しさを称えておられる。しかし、その名城をバックに美しくないナリをして「へべれけ!コンバット」を踊っているのは、よーく見ると、クオヒコとマサヒコの2人。おや? ユズルとナオヒコの姿が無いが、いったいどうしたのだろうね?「三度の飯よりコンバットが好き」な彼らが、国の重要文化財の前という絶好の舞台で踊らないのは、実は、踊らないのではなくて踊れないから。つまり、

カメラに写りたくないほど恥ずかしいどひょひょーん顔になっていた

わけなのですね。それにしても、男鹿半島であの怪物のエジキになってから、もう数日が経つというのに、まだ恥ずかしい顔をしているということは、

どひょひょーん顔を東北地方の人びとにさらしながら旅を続けていた

ことでもあるわけです。若さあふれるハタチ前の青年たちの自然治癒能力を凌駕するほどの破壊力をもった毒素を、彼らの体内に注ぎ込んだ怪物って、いったいどんなヤツだったのでしょうね? (ああ、またしても引っ張ろうとしている。朝日菜さん、私もここまでやるつもりではなかったのですよ。だって、ナッチさんやさき耽さんや琴めぐみさんやyoさんや舞瑠さんやハナミヅキさんや心紅さんたちから、あれやこれやの恐ろしい怪物たちの回答を頂戴するうちに、この私自身が恐ろしくなってしまったのですよ。だって、もはや言える雰囲気ではないじゃないですか、正解は「ヤブ蚊の大群」だなんて。まひるさんやまむたんさんには、すぐにバレてしまいましたけどね。あの夜、さっそくブンブンと遠慮のない羽音を立てて押し寄せてきたヤブ蚊たちを、クオヒコとマサヒコは顔をタオルで覆い、なおかつ寝袋の顔を出す部分も内側からタオルで塞いで、息苦しいほうが食われるよりもマシと、朝まで耐えておりました。ところがユズルは寝袋の穴から口をのぞかせ、押し寄せた蚊たちに思う存分キスをされて、唇が異様に腫れて膨れあがり、「鳥のクチバシ」みたいになりました。そしてナオヒコは、右の目を無防備にしたため、ブンブンと吸血をされて「四谷怪談のお岩さん」そっくりになったのです。これがまた裏早稲田史に名を刻まれた、われらの青春の恥部の1つ「目覚めたら、どひょひょーん事件」の真相なのであります。それでも旅は続くのだ。野宿場から道路へ下りていき、駅へ向かうバスに乗ったところ、そこは2学期が始まったばかりの学校へ通う中学生と思しき少女たちで満員の空間ではないですか。突然現れた「妖怪クチバシ男」や「お岩どん」の異形と酒臭さに、純真無垢なる乙女たちは恐怖マキシマムの反応を示し、たちまち通学バス内は阿鼻叫喚の生き地獄と化したのでありました。それにしても、さすがは「なまはげ」のメッカ男鹿半島の誇る精鋭ヤブカ戦闘隊です。ユズルとナオヒコは、しきりに患部にムヒを塗っておりましたが、なかなか人間の顔に戻ることはできなかったのでした。「風に吹かれて、へべれけ!東北野宿旅行」の巻、これでオシマイ。ご愛読くださった皆さん、たくさんのメッセやコメやペタ、どうもありがとうございました。