読みきり小説 「発狂した大学」 ④ | クオの別世界

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学生時代に書いた初々しい小説、コピーライター時代を語る懐かしいエッセイ、そして文章家として活動する日々の合い間のエッセイや小説を掲載しています。



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 日本全国を大学発狂旋風が吹き荒れ、情勢はまったく予断を許さないものとなっていた。発狂した大学が発狂した大学を襲い、発狂した大学が発狂した大学に応戦し、発狂した大学が発狂した大学と同盟を結び、発狂した大学が発狂した大学を裏切り、発狂した大学と発狂した大学とが華々しく激突する。これは何なのだ? いったいこれは何なのだろう? そもそも、なぜ、大学が発狂したのか? なるほど、理由が見つからないから狂っているのだという解釈にも一理ある。だが、それでは完全な答とは言えないし、読者諸君も納得がいかないだろう。そろそろ、タネ明かしの必要がありそうだ。



「パラレルワールド」という言葉をご存知だろうか。われわれが生活しているこの世界はたった1つきりのものであるが、実はこの世界の他にも、ごくわずかずつ時空を異にした、よく似た世界が存在している。これが「パラレルワールド」とか「多元宇宙」とか呼ばれるものなのだ。



「無限」という概念は、実際には完全に把握することが不可能なのだが、宇宙は無数に存在している。1個の宇宙は、それ自体は無限の空間を含むものであるにしても、1つの点(大きさを持たない点)でしかない。ちょうど1本の針の頭に無数の点があるのと同様に、無限の宇宙の中にも無数の点が存在する。つまり、無限数の宇宙が同時に存在しているワケなのだ。だから、その中には、諸君がこの三文小説を読んでいる代わりにネジリハチマキをしてハイデッガーの「存在と時間」を紐解いている世界もあるだろうし、いかがわしい雑誌を前にニヤニヤ笑っている世界もあるだろう。諸君の恋人がワクワクして諸君とのデートを心待ちにしている世界もあれば、移り気な恋人が諸君の到着を待たずして他の相手とどこかへ行ってしまった、そういう世界も存在するだろう。このような、宇宙の多元性を表す言葉がパラレルワールドなのだ。



 そして、大学が狂いに狂っているこの世界も、以前の、大学がマトモに学問研究の場であった世界と並立して存在している世界なのである。そうなのだ。ヒロアキくんは、大学が互いに戦争しあうこの奇妙奇天烈摩訶不思議な世界に、足を踏み入れてしまったのだ。それは、いったい、いつ?



 あの夜。受験をめぐる父さんと母さんの会話に徹底的に打ちひしがれたヒロアキくんが「受験なんていやだ、大学なんてどうにでもなっちまえ」と念じた夜。まさに、あのとき、ヒロアキくんは、本当に大学がどうにでもなっちまった、この世界に入り込んでしまったのである。あの夜を分岐点として、ヒロアキくんはあちらの世界から外れ、こちらの世界の住人になってしまった。そういうワケ。



 と、すると、以前こちらの世界にいたヒロアキくんは、新しくこちらの世界にやってきたヒロアキくんが以前に住んでいたあちらの世界に行ってしまい、今ごろは受験参考書と睨めっこでもしているのだろうか。

















 局地戦から統合戦へと移るにつれ、戦いはますます激化していった。北では、ヒグマを飼いならした北海道大学が津軽海峡を渡って南下し、東北大学との間に死闘を繰り広げていたし、南からは九州大学が博多どんたくの音頭に乗って、中央を目指して猛進していた。最強兵器プラズマ砲を引っさげた京都大学の強さは相変わらず殺人的で、中京の雄、名古屋大学を一瞬にして昇天させ、じわじわと首都圏に接近中。そして東京では、まだまだ戦況は混沌としていたのである。



 当初は手をこまねいていた政府も、ここまできては綺麗事も言っておれず、とうとう自衛隊の出動に踏みきり、場合によっては多少の人的かつ物的被害もやむを得ないと公言した。厚木と板付の飛行場からは、航空自衛隊のファントム戦闘機が次々と発進していった。

















 すでに戦火の遠のいた、大分県南部の小都市。
 ヒロアキくんは、恋人のリエちゃんとデートの最中だ。
 日本中の大学という大学がああなってしまった今、もはや受験勉強の必要もまったくなくなった。毎日でもこうして彼女と会っていられるワケである。
 ヒロアキくんは、幸福の真っ只中にいる。公園のベンチに並んで腰を下ろし、リエちゃんの手をぎゅっと握りしめる。そして、こう思うのだ。
 

 なんて素晴らしい世界なんだろう!

                                (了)





















32年後のいま、読み返してみて。








●これは1977年(昭和52年)の12月、当時20歳の筆者が所属していたサークル「早稲田大学文芸創作研究会」の機関誌「ラ・メゾン」第4号に掲載されたものである。400字詰め原稿用紙に換算して、35枚程度の短編。



●小学生のときから好きだった、アメリカのSF作家、フレドリック・ブラウン。その代表作の1つに「発狂した宇宙」という名作がある。いわゆる「パラレルワールド」を描いた古典SFだが、その原題は「WHAT MAD UNIVERSE」。
この「UNIVERSE」を「UNIVERSITY」」に変えたら「発狂した大学」となることに気づき、興奮しながら徹夜して書き上げた記憶がある。イージーな発想だ。



●「西武沿線異状なし」を書いた1年前に比べると、かなり筆力は向上しているが、まだまだプロのレベルには、ほど遠い。ブラウンの作品が存在しなかったら、書けなかったわけだから。創造性がなければ作家とは言えないだろう。



●本作は「自分の体験に基づく小説」ではないが、主人公のヒロアキくんは、自分がモデルである。田舎町に生まれ育ったおかげで、受験地獄とは無縁だった。高校生活を終えたら東京の大学に行きたかったので、父親に相談したところ「私立は金がかかるが、早稲田か慶応なら認めてやる」という返事。時すでに高校3年の9月。さっそく大分へ汽車で行って、参考書の類を買い込んだ。
国語と英語と社会(世界史)。ゼロからの受験勉強のスタートで、タイムリミットは半年たらず。はたして間に合うだろうかとも思ったが、東京への強い思いが、1日10時間も勉強させた。幸い記憶力には恵まれていたので、徹底的に丸暗記。年明けの1月に行われた最後の模擬試験で、3科目の合計点が大分県で1番になってビックリした。五木寛之や野坂昭如が好きだったので、ほんとうは文学部に進みたかったのだが、「ためしに政経学部も受けてみろ。両方受かっても文学部に行かせてやるから」という父親の言葉が実は大嘘で、両方受かったとたん「文学部はダメだ。政経学部に行かないのなら金は出さん」。泣く泣く従ったが、政治にも経済にもまるで興味がなかったので「西武沿線」のような学生生活になった次第である。何はともあれ、受験勉強というくだらないものに、貴重な青春時代を5か月しか奪われずに済んだのは幸いだった。



●当時の政経学部は、1クラス50人編成だった(男子48人、女子2人)。うち半分が「早稲田に憧れて入った者」で、もう半分が「東大を落ちて仕方なく入った者」。前者は「酒と麻雀とエッチ」というワセダの王道を行き、後者は「とにかく真面目に授業に出て、優秀な成績を取って、いい会社に入って、東大卒の方々に追いつきたい」というスタンス。実につまらない奴らだと思った。子供の頃から塾や予備校に通ってガリ勉をしても、たかが東大に入れないほど頭が悪いのだから、考え方と生き方を変えればいいのになあと思ったが、その背後には親の教育方針があって、さらに偏差値至上主義の学歴社会というもっと大きな深刻な背景があって、彼らはその犠牲者だったのだなと、今では理解している。この「発狂した大学」を書いた動機には、当時の筆者の「東大落っこち組への軽蔑と、ガリ勉社会への反発」も含まれていたかもしれない。



●偏差値至上の思想を埋め込まれた親をもつ、いまの若い人たちは、本当に気の毒だと思う。大切なのは「頭」ではなく「心」ですよ。どんなにいい学校に入って、いい会社に入っても、「心」が悪ければ、ぜったい「幸せ」にはなれません。どんなに勉強ができなくても「心」さえ良ければ、かならず「幸せ」になれます。ということを、あなた方の親に教えてあげたいのだけれどなあ。