昭和二十八年十一月二十六年、私は広島県呉市に生まれた。

 野球好きの父親の影響で私はよちよち歩きの頃から呉市の二河球場によく野球を見に行った。

「呉市は南海ホークスの鶴岡監督の出身地で春になるとこの二河球場でホークスはキャンプをはった」

 この当時南海ホークスは強い球団で有名選手が数多くいた。

「あの有名な野村克也さんがバリバリの若い選手だった。アンダースローの杉浦投手もいた。スターの宝庫だったのである」

 だが、わが広島カープは幼い私が見てもよれよれの感じがした。

「お世辞にも強そうには見えなかったし、また強くなかった」

 この時代今や伝説となった、

「小さな大投手長谷川投手ががんばっていた」

 連敗街道を走っていたが、人々は負けても負けてもカープを応援したのである。