小さい頃、田舎では、「Xmas」という祝祭は、
無縁に近かったが、朝、目覚めると、枕元の
靴の下に、何かが入っていたりした。
学校に行って、友達間で、話題になることから、母が
気遣っての行為だった。安い駄菓子だったりだが、
それでも十分、満足であった。
母は、いつも優しかった。その優しさが、
私を育くんでくれた。今でも思う、人の心に
優しさがあれば、人間同士の争いは、避けられる
のではないかと...。
キリスト教のキリストは、神の子。
ユダヤ教のモーゼは、神の代理人。
イスラム教のモハメッドは、神の伝道者。
この3教は、
同じ神<ゴッド>の言葉を、
時間差がありながらも
文字に置き換えた、
「旧・新約聖書」・
「コーラン」である。
神の呼び名も、キリスト・
ヤハウェ・
アッラーと違うように、神の言葉を
聞いた人と、言葉にまとめて書にした人が
異なり、解釈した内容も、勝手に書き込んだから、
バラバラになって
それぞれが、経典となった。
本来ならば、3者1体に、神を祝する祭りが
あるべきなのに、キリストだけを
祝う「クリスマス」となった。

厄介なのは、それが日本で昭和の時代に
流行ってしまったことだ。
学生のことは、新宿の街で独りだった、
社会人になっても、「イヴ」は、独りだった。
先輩の脚本家が「一緒に来いよ」と誘ってくれたので、
パーティーでもあるのかと
喜んでお供したら、
狸穴のバーで、三角帽子をかぶって
ただ飲むだけだった。
正直、つまんなかった...。
つづくかも...?
備考:この内容は、
2025-12-1
発行:全国信用金庫協会
「楽しいわが家」
より紹介しました。
