
♪ 夏が来れば思いだす はるかな尾瀬~
ではなく、ジリジリとした熱を浴び、自分は
いつしか少年の頃に戻る。
昭和35年夏休みの日に、友達と自転車の
練習の成果を極めようと町に出た。小山の
上には、高射砲陣地跡が残り、町の外れには
落とされた敵機の残骸が長く残されていた。
長崎の原爆の悲惨さを正しく理解すること
もなく「♪ こよなく晴れた青空に~」
と、走りながら大声で歌った。
中学校の門には、
コンクリート製の哨兵ボックスが、まだ建っている。
それでも私は、ついぞ戦争があった真実は
知らないままだった。叔父が陸軍将校で、
中国戦線で●くなったこともリアリティー
を感じてはいなかった。
その夕、両親に戦争って、どんな感じか
問いかけた。

「生きることを考える」
致知は、ボソッと言った。理解できないまま、会話は
途絶えた。気が付くと、蛍が縁先で光って
いた。人は皆、何かを引きずって生きているのだ。
少年心に、ふとそう思えた。
佐世保は、天然の良港。あれだけ米空母
「エンタープライズ」の入港反対を叫び、連日
各活動家がデモを行い、ニュースで騒がれた
「時」も過去となり、佐世保は米第7艦隊の
母港となった。「エンタープライズ」は、
でんと停泊している。
アメリカ兵は、体に似合うでかい
「佐世保バーガー」を生み出した。基地内での
家庭料理だったのが、グルメ番組やらの効果
なのか、今ではあちこちに店がある。
廃棄物処理問題で廃止になったが、昔は
精霊流しが、お盆の行事だった。
川辺には、ゆらゆら
揺れるローソクの火と、ちらちらと
飛ぶ蛍の光が交錯して、子ども心に、
夢幻の世界に誘いこまれた。
蛍は、清らかな水辺でしか生息しない...。

備考:この内容は、
2025-8-1
発行:全国信用金庫協会
「楽しいわが家」
より紹介しました。