あの日から3年経った今も、まだ解決を
見られず、私を含めて8人が証人喚問のために
出廷を要求され、すでに3人が
証人喚問に座っていた。
それぞれの様子は、翌日の新聞等で伝えられたが、
それらのいずれも好奇的な記事ではなく、
慣れない場所に立って、うろたえてしまった
有様だけを、いかにも芸能人の勉強不足と言わん
ばかりの書き方をしていた。
落ち着いて考えれば、
芸能人でなくとも、いきなり法廷という
特殊な環境に立たされたら、
うろたえないほうがおかしい。
私のことも、明日の新聞に書かれるのだろう。
そんなことを考えながら家を出た。

外は春の割に、肌寒い感じがあった。
外気に全身が触れた時、背中に母の声を聞いた。
「大丈夫。終わったら電話するから...」
いつもと変わらない私に、母は安心したようだ。
車は、日比谷を抜けて東京地裁へ近づいて行く。
行き交う車の中に、私の胸中を知る人は
いない。何台もの車が規則正しく通り過ぎてゆく。
みんな必●で、自分のために生きている。一部で
大騒ぎをしていても、関心も関係もない人たちの
ほうが多いのだ。そう思うといくらか心が軽く
なった。クルマは進む。
暗い空だけが、どんより低く
垂れている。土の匂いもない氷ったような都会の
アスファルトが、無情な時の流れ そのもののようで、
私は、思わず瞳を閉じた。

クール、冷静沈着、年齢にふさわしくない落ち着き...
それらは、”芸能人・山口百恵”を語るときの
パターン化された修飾語であった。
日頃、そう言われていることに、私はあまりいい感情を
抱いていなかったが、今日ばかりは、この定着した
イメージを大いに利用させてもらおうと決めていた。
被告側弁護団の5人も、おそらく私に対して
同様の先入観を持っていることだろう。
もし、そうであれば、彼らも心してかかるはずである。
ここで、大切なのは、相手方と同一線上に並ぶこと
である。同じ線の上に並べたら、精神的に
ずいぶん楽になる、会話は、それからのことである。
私は、今日一日、イメージの中の”芸能人・山口百恵”を
演じきってみようと決めていた。
耳を塞ぎたくなるようなシャッター音と、
私にコメントを求める声の真っ只中に車は停まった。
光と音の洪水にも、私の心は平静だった。
私は、小走りに音の波を抜けてゆく。
壁から境目がなく
そのまま続いている天井にコツンコツンと規則正しい
靴音が響く。
閉ざされた重い扉を右に
見ながら、男たちの靴音に追われるようにして、
私もまた、しっかりとした足どりで歩いて行った。
「1時間半か、長くても2時間あれば
終わるでしょう、大丈夫ですか?」
誰かが、投げかけた。心のかけらもこもっては
いないような言葉に、私は
「ええ」とだけ答えて、
逆にその人の目を、真正面から見つめた。
意味のない笑いを交わし、それから、窓の下に広がる
都会を見た。
さっきと変わらない曇り空。
まだ、外は肌寒いのだろうか...?
備考:この内容は、
昭和58-12-28
発行:集英社
プロデューサー:残間里江子
著者:山口百恵
「蒼い時」
より紹介しました。
