ある大会社の社長室に、ひとりの青年がやってきた。
会ってみる気になったのは、同じような
大会社の社長の名刺に
<この人は、優秀です>
と書いたのを持参してたからだ。
青年は、言った。
「このような大きな会社だと、政界工作だの、
リベートだの、乗っ取りだの、外部に
もれたら困るようなことも ございましょう?」
「なんだと! 君の知ったことか!」
「ええ、僕はなんにも知りません。しかし、
それを種に、ゆするやつが、今後、現れる
かもしれない。いや、すでにいるかもしれない。
卑劣な行為です。じつは、そういうやつに
飲ませるクスリを開発いたしました。万全の策として、
お手もとに お置きになっても
悪くないと思いまして...」
青年の出したビンを見て、社長は言った。
「○して済むのなら、簡単だがね」
「いえ、おとなしく帰らせる作用です。
○したら、ことですよ。やつらは、不自然な○の場合は、
あの会社を疑えなんて書き残してたり
してますものね。試供品として、さしあげます」
それから、何日か後、恐喝屋が来て、
社長をおどした、
「月に1度の参上です。口どめ料をいただいて、
すぐ帰りますよ。不動産入手のため、
身寄りのない老婦人を、事故○らしく消したことを、
表ざたにされたくないのなら...」
社長は話した。「もう、かなりの金を渡した。
いいかげんで、やめてくれないか」と。しかし、
簡単に、あきらめるわけがない。
「まあ、お茶でも飲んで...」
社長は、ものは試しと、あのクスリの1錠を、
お茶に溶かしてすすめた。相手は飲む。
「や! なんだか、いい気分になってきた。
あなたは、いい人だ。こういう日に金を
巻き上げちゃ、気の毒だな...」
あと、1時間ほど しゃべって、金ももらわず
帰っていった。この会社には、同じような
恐喝屋が5人ほど、くいついている。そのいずれもが、
クスリにより追い返された。
やがて、再び、青年がやってきた。
「おや? ビンのクスリが減っていますね?
お役に立ったようですな?
ソワソワなさることは
ありません、喜んでいただければいいのです。
補充しておきましょう。まったく、
うるさい連中ですからね」
そのうち、恐喝屋は、月に1度でなく、
20日で1度、10日で1度
現れるようになった。
「茶飲み話を、しに来ましたよ。ここへ来ると、
なんとなく楽しくなるな...」
クスリのおかげで、無事に帰ってくれるが、
その応対の分だけ、社長は忙しくなった。
下手に怒らせたら、危険なことは、変わりないのだ。
青年が、やって来て言う。
「ずいぶん、クスリが減りましたね?
効果、てきめんでしょう?」
「ききめはすごいが、麻薬的な作用でも
あるのじゃないのか?
来る間隔が短くなってゆく。
ひょっとしたら、もっと、しばしば来るようになるのでは?」
「まあ、そうなるかも、しれませんな?
6日に1回になり、3日おきになり...」
それを聞いて、社長は青くなった。
「おいおい、冗談じゃないぜ。わたしは、
それにかかりっきりになってしまう。会議も
出張もできなくなってしまう。君は、事態を
いっそうひどくしてくれた。
わたしに、
うらみでもあるのか!?」
「とんでも、ありません。金銭的な損害は、
なくなったでしょう?
すべては、良かれと思って
やっていることでございます。そうでなかったら、
最初から、ここへ来たりしませんよ」
「すると、何か、いい案があるのか?」
「そうですとも。僕は他人の頭の中の、
あることに関する記憶を消す、一種の超能力を
持っているのです。そして、それだけが
唯一の取り柄なのです」
「それなら、その能力を、早いとこ
有効に使ってくれればよかったのに」
社長に言われ、青年はゆっくりした口調で説明した。
「だって、この会社が、ぼくの能力を必要として
いるかどうか、わからなかったのですよ。
それに、これが最大の理由なのですが...」
「何かね?」
「この、めったにない能力に、正当な額の
報酬を払っていただきたいのです。おいやなら、
引き上げます。やつらへのクスリの効き目は消え、
かつてのように、金を渡すことに
なります...」
「うむ...」
社長は考え、まとまった金額を口にした。
青年は承知したと答えた。恐喝屋が来るたびに、
青年は、相手を見つめて言い渡した。
「例の件についてのことは、すっかり忘れてしまいな」
やっかいな連中は、みな、それで二度と
来なくなった、お茶を飲みにも来ない。
クスリへの記憶も 失ってしまったのだから。
これで大丈夫と、社長が納得したころ、
青年は言った。
「お約束通りでしょう。これからは、
弱みになるようなことなど、なさらないこと
ですな。お金を...」
社長は、金を払った、青年に、記憶を戻させる
能力はないのだが、そこまでは見抜けない。
青年は、さらに言う。
「...もう、二度と来ませんよ。僕は、
これがビジネスなのです。さて、お願いですが、
名刺にぼくのことを、優秀な才能の人物と
書いていただけませんか?」
「書きましょう。おかげで、助かったのだ」
その名刺をもらい、青年は社長に言った。
「これに関連したことは、
すっかり忘れてしまうんですね」
そして、帰っていった...。
備考:この内容は、
平成5-11-25
発行:新潮社
著者:星新一
「これからの出来事」
より紹介しました。