ドアから30歳くらいの女性が入ってきて、
口ごもりながら言った。
「あの~、外の看板の”人生総合総相談所”
というのが、目に入ったので。
それと、いいかげん
でないような印象も受けましたし...」
40歳を少し越えたここの所長は、
そばの椅子をすすめながら、にこやかに迎えた。
「よく、おいでくださいました。こここそ、
時代の要求によって生まれた、新しいシステムと
いっていいでしょう。ユニークなシステムです。
わたしは、正式に医師の資格を取っています。
ですから、医学的な診断をも下せるのです...」
「あら? 病院でしたの ここ...?」
「そう、限定されたは、困ります。わたしが、
医学部門の担当というわけです。お話をうかがって
法律がからんでいるとなれば、その部門の
人をご紹介します。
また経済的なこと、職務上の
ご不満など、それぞれの専門家が
そろっております。
そもそも、この複雑な世の中、いかに
優秀な人でも、ひとりの力は知れております。
そこで、いかなることにも対応できるよう、
このシステムが生まれたわけです」
そう言われ、女性は、頼もしさを感じた。
「どんな相談でも、できるのね?」
「はい。正確な診断をいたします。
それにもとづくアドバイスもしますが、100%
ご満足いただけるまで、至っていない。
そのため、相談所という看板を出さずにいるのです」
「でも、ほとんど、うまくいって
いるんでしょう?」
「そうですとも。で、お悩みは?
家計ですか? 運動不足ですか?」
「あたしじゃなく、亭主についてですの」
「何か、よからぬことを...?」
「いいえ。まともで、平凡に会社づとめを
していますわ。酒もやらず、かけごとも」
「けっこうでは、ありませんか!?」
「まあ、聞いてください。あたしたち、
まだ子どもがありませんの。それは、いいんですけど、
せっかくの休日になると、人が変わったようになって...」
女性は、ため息をつき、所長はうながした。
「あばれたり、なさるのですか?」
「その逆なんです。妄想の世界に、
こもってしまうのです。どうやらそこでは、亭主は
発明家で、妻に生活の苦労をかけながら
なにかに熱中し、それが生きがいらしいんです」
「あまり例が、ありませんな。ご本人を、
詳しく診察させてください。次の休日に、
おうかがいしましょうか?」
「お願いしますわ」
というわけで所長は往診し、その結果を
女性に告げた。
「ご主人は、本当に自分を発明家だと
思い込んでいて、会社づとめのほうは夢のような
ものだと思っておいでだ。かなりの重症で、
治るかどうか?」
「となると、私も決心すべきかも
しれないわね。別れて、早く、もっとましな人を
さがしたほうが賢明ね、住居は賃貸マンションだから
契約すればいいし、あたしも生活費
ぐらいは稼げる。だけど...」
女性は言葉につまり、所長は、
そのあとを続けた。
「ご亭主の始末のことでしょう? ご心配なく。
当方で引き受けます。離婚の手続きも。
お任せください。もっとも、代わりの
魅力的男性の世話まで、やってさしあげられないのが
残念ですが...」
「そこまでは、お願いできないわ。
いろいろとありがとう。助かったわ」
女性は、すっきりといった表情で、
喜んで帰っていった...。
半年ほど経って、女性は再びやってきた。
所長は、迎えて言った。
「また何か問題でも...?」
「いいえ、前にあたしと別れた亭主、
その後、どうなったかと思って、気になったので
寄ってみたの。あれこれいえた義理じゃないけど、
巧妙に消しちゃったんじゃないでしょうね?」
「とんでもない。そんな悪評を
広められては迷惑です。
そんなにご心配なら、現状を
ご覧にいれますよ...」
所長は、女性を車に載せ、郊外へ出て、
ある一軒家の手前でとめた。そして指さす。
そこを見て、女性は言った。
「あら、いたわ! 奥さんらしい人と一緒ね。
子どももいるじゃないの。4歳ぐらいの
女の子ね。なんだかうまくいってるみたいね。
どうなってるの?」
「うちの機構は、各所に支部があるのです。
いろんなのが持ち込まれますよ。たとえば、
ワイフが発明狂の婦人という妄想にとりつかれた、
なんとかならないかなんて相談もね。
そこで引き取って...」
「あの子は、連れ子なの...?」
「いいえ。自分の両親を信じないんです。
こんな平凡な人じゃなくて、もっと優秀な発明家の
はずだと。実の両親は、持てあまし...」
「それらをまとめて、面倒みてるってわけね。
大変な資金が、いることになるわね?」
「資金を必要とはしますが、慈善団体とは
違います。あなたのもとのご亭主、これで、当人に
とって望ましい状態になれたわけです。
あの妻子たちも、無形の協力をしてくれた。その
あげく、20分あればローラースケートで
自由に走れる練習機を完成した」
「あ、あの、いま売れている大ヒット商品...?」
「そうです。改良すれば、水泳練習機、
サーフィン練習機もできるでしょう。わが機構も
いままでの費用を回収し、現在、利益の
一部をいただいているわけです。捨てる神あれば
助ける神ありが、当方の方針でして...」
それからの帰りのクルマの中で、
女性はしばらく考えてから言った。
「あたし、この間から、芸術家の
奥さんになったような気がときどき...」
「その件は、事務所に戻ってからにしましょう...」
診断所へ帰りつき、所長が本部へ
問い合わせると、データーが送られてきた、
それを女性に告げる。
「ストックがありましたよ、入荷したてですが。
いやがる奥さんを人前に引っ張り出し、
はだかにし、絵の具をぬりたくった男です。
奥さんが、困り果て、持ち込んで来たのです、うちの
芸術部門の担当者は、いい点を
つけているようですがね。いかがでしょう?」
「いやよ、そんなの!」
女性は、断わり、帰っていった。
しかし...、
5ヶ月もすると、その芸術家なる人物は有名になり、
何人ものモデルを使い、外国で
個展をして回るようになった。
女性は、またも立ち寄って、所長に言った。
「惜しいことをしたわ!」
「ですから、あの時、おすすめしたでしょう。
チャンスでしたのに...」
「そうだったわね。あたしって、
運がないのね」
「正確には、ちょっとちがうんですがね」
「なんなの?」
女性に聞かれ、所長は言った。
「申し上げにくいんですけど、
つまり、まともすぎるんです...」
備考:この内容は、
平成6-12-10
発行:新潮社
著者:星新一
「ありふれた手法」
より紹介しました。