白石街道という道路がある。
A市の ほぼ真ん中を横切るように
東西に走っており、東に進むとB市、西に行くと隣県に
入る。この近辺の住民、特に商用で
車を使う人間にとっては、主要な道路である、それだけに
朝や夕方は、かなりの車が増え、A市の
中心地に向かう交差点付近などは、いつも
渋滞している。
片側2車線の、よく整備された道路だ。
中央分離帯にはツツジの木が植えられ、数メートル
おきには街灯が立っている。信号は多いが、
夜間は連動しているので、制限速度を守って
いる分には、快適に走れるはずだった。
10月20日、午後11時すぎ。
この白石街道を、西に向かって
白のチェイサーが走っていた。運転してるのは、市内の
建設会社で係長をしている男だった。彼は隣県の、
さらに奥に入った町から、車で通勤しているのだ。
残業で最終電車に間に合わないことが
多いからだった。だからこの夜は、彼としては、
早く帰れた方だといえる。
道路は、空いていた。この時間になると、
車は、ぐっと少なくなるのだ。彼は、現在、右側車線を
走っているが、数10m先に
トラックの姿が見えるだけだった。後ろからは、何も
来ていない。先程まで降っていた雨も、
どうやら あがったようだ。
前方のトラックとは、かなり長い間、
一緒に走っていた、荷台に書いてある
『ライナー運送』という社名には覚えがある。
彼の会社でも、建設建材の運搬などを頼んだことが
あるからだ。
いつもの彼なら、早々にトラックを
追い越しているところだった、しかし、今夜は、そういう
気になれないほど疲れている。何も考えず
『ライナー運送』の文字を遠くに眺めながら、
ぼんやりと ハンドルを握っていたい気分だった。
それに、前方のトラックにしても、格別
スピードが遅いということはない。制限速度50kmの
ところを、55から60で維持しているのだ。
これ以上 速くなったところで
連動している信号に捕まってしまうだけだった。
彼が、追い越しをかけない理由が、もう1つあった。
右車線を走っているトラックを抜くには、
一旦、左車線に入らねばならない。
ところが、左車線には、路上集車している車が多く、
まともに走ることが困難なのだった。
...まあいいさ、のんびり帰ろう。
あくびを1つすると、彼は、ハンドルを
握り直した、
トラックの停止灯がついた、赤信号だ。
彼は少し迷ったが、結局、そのまま車を
トラックの後ろにつけた。
信号を待つ間、まわりの景色を眺めた。
道路の左、交差点の手前にファミリー・レストランが
あって、煌々と灯りがついている。
見たところ、客は少ない。このレストラン以外の建物の窓は
ほとんど真っ暗だ。信号のずっと先を見ると、
24時間営業のコンビニエンス・ストアが
道路の右側にあった。
信号が青に変わった。トラックが発進する。
少し遅れてから彼も、チェイサーのアクセルペダルを
踏んだ。
この先にも信号があるが、
トラックが前にいるので、現在、赤なのか、青なのか、
わからなかった。しかし、トラックが、かなりの勢いで
加速を始めたところを見ると、青で抜けられるかどうか、
微妙なところらしい。
スピード・メーターの針が50km/hを回った。
さらにアクセルを踏む。
そのときだ!
前方のトラックが、急ブレーキを踏んだのだ。
彼もとっさに右足を踏んばった。しかし、
その意思に反して 車体の制動は遅い。
引きずられるように、タイヤが滑る。
...やばいな。
そう思った彼の目の前で、
信じられないことが起こった。
ブレーキをかけると同時に、
トラックは、右にハンドルを切っていたのだ。そのために
雨上がりの濡れた路面で、タイヤが
スリップしたらしい。トラックは、激しい音を立てて
そのまま中央分離帯に、突っ込んだ。
だが、
それでも勢いは止まらない。トラックの前半分ほどが
分離帯を越え、そこでバランスを崩して
横転してしまったのだ。
そこへ、対向車が来た。
その車は、タイヤを鳴らして止まろうとしたが、
やはり路面の影響からか90度回転し、
車の後部が倒れているトラックの
運転席に激突した。
チェイサーの男は、そのようすを
呆然と見ていた。交通事故を、これほど目の当たりに
したのは初めてだった。あまりの衝撃に、
しばらく身動きできなかったほどだ。
だが、彼が、我を失っていた時間というのは、
実際は、たいした時間ではなかったのかも
しれない。なぜならその直後に、前方左車線に
路上駐車していた車が発進するのを、はっきりと
目撃していたからだった...。
備考:この内容は、
2011-3-15
発行:講談社
著者:東野圭吾
「天使の耳」
より紹介しました。