JET STREAM
JET STREAM
JET STREAM
JET STREAM
JET STREAM
JET STREAM...
遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に
心を休める時、
遥か雲海の上を、
音も無く、流れ去る気流は、
絶ゆみない宇宙の営みを、
告げています...。
満天の星を、頂く、
果てしない光の海を、
豊かに流れ行く風に、
心を開けば、
煌めく(きらめく)星座の物語も、
聴こえてくる
夜の静寂(しじま)の、
何と、饒舌(じょうぜつ)な、
ことでしょう...。
光と影の境に、
消えていった
遥かな地平線が、
瞼(まぶた)に、浮かんで
参ります...。
これからの、ひと時、
月曜日から、金曜日までの毎日、
あなたにお送りする、
音楽の定期便、
「JET STREAM」
夜間飛行のお供を、
いたしますパイロットは、
わたくし、
「福山雅治」です...。
ジェット・ストリーム、
日本航空・JALが、
お送りします...。
==================
ジェット・ストリーム スカイウェイ・クロム...
今週は、国際線就航70周年を
記念したスペシャル・フライト!
東京都世界をつなぐ新たな
玄関口・新東京国際空港が
開航したのは、1978年。
その時代の 東京への旅。
時代小説作家・池波正太郎
による1977年刊行の随筆集・
「散歩の時、何か食べたくなって」
の中から、渋谷と目黒と題された
一編をお届けします...。
「池波正太郎」
今夜は、その第一夜。
「剣客商売」、「鬼平犯科帳」、
「仕掛け人・藤枝梅安」など、
昭和の時代小説作家、
池波正太郎は、秋山小兵衛、
長谷川平蔵など魅力ある
主人公が活躍する小説を、
次々と世に送り出したが、
「食の随筆」には、
今も、ファンが多い...。
「藤枝梅安」
====================
「渋谷の街」
20年ほど前の私は、
1日に1度は必ず、渋谷の街を
歩いたものだ。
太平洋戦争が終わり、
航空基地から、東京へ復員してきた
時の私は、当時の若者の
誰もが、そうであったように、
廃墟と化した日本の将来と、
「戦後の渋谷」
これからの自分の展望がつかめず、
一体、これから何をしたら良いのか、
途方にくれたと言って良い...。
「池波正太郎」
およそ、半年ほど、私は、
ぶらぶらしていた。
この間、退屈しのぎと、自分の胸の中の
苦痛を紛らわせるために、
書いた戯曲が、Y新聞の懸賞に
入選しなかったら、今日の
私の仕事は、成立しなかったろう...。
少年の頃から、芝居が好きだった私は、
生まれて初めて書いてみた
戯曲が、一応は認められた
ことになったので、これなら、
努力しだいで、芝居が書ける
ようになるのではないか?
と、思った...。
「Y新聞」は、翌年も戯曲の
懸賞をすると言う...。
私は、翌年もまた、応募
することに決めた!
「村山知義氏」
入選した戯曲が、選者の1人だった
「村山知義」氏に、
認められ新興劇団の
地方公演に、取り上げられたことも、
私に、希望を与えてくれた...。
その芝居は、「ゆきばれ」と言うのだが、
復員したばかりの若き日の
「宇野重吉」や
岩下志麻の父、「野々村潔」などが
出演した。
こうして、これからやろうとすることが
決まると、私の重い腰も、
ようやく動き始めた...。
戯曲を書くために、働く。
その道を得なくてはならない。
当時は、終戦直後のことで、
男の手が非常に少なかったところへ、
あの「発疹チフス」の大流行と
なった...。
この伝染病は「リケッチア」という
病原体によって、起こる熱病で
およそ、10日の潜伏期の後に、
めまいや、悪寒、頭痛、吐き気が
始まり、光熱を発し、●▲する
ことも少なくない...。
そのためには、まず病原体を媒介
する「シラミ」を撲滅
しなくてはならない。
米軍進駐軍によって、
保健所は、たくさんの作業員を
募集した。
私は、
すぐさま、応募した...。
備考:この内容は、
「福山雅治指定人ラジオ」
416回視聴・10日前
”JET STREAM 2024-9-30”
より紹介しました。