山口百恵「蒼い時・性」...その9 | Q太郎のブログ

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恋という感情は、自分の中に確認してから しばらく

 

私は、性に対する自分の姿勢を、きれいごとで

 

済ませられると思っていた。カラダを合わせる

 

だけがすべてではない。と考えていた。

 

 

 

 

 

しかし、心が

 

募るにしたがって、身の内に不思議な感覚が走る

 

のを、否定することはできなかった。求められると同時に

 

求めることを知った。

 

心とカラダが

 

説明できない波に、すっぽりと包まれてしまうのである。

 

 

 

 

好奇心や恐怖心がなかったといえば嘘になる。

 

ただ、それよりも愛する人の胸にすっぽりと、


包まれたときの安堵感。このまま、ときの中に解けて

 

いきたい感覚を味わいたいと、ごく自然に思う

 

ようになっていた。

 

 

 

そして、その思いは、割合い正直に

 

表現できた。表現というより、お互いの

 

求め合う気持ちのタイミングがある瞬間、

 

一致したといったほうが正確である。後悔などは決して

 

しない。私は、これだけを誓った。

 

 

 

 

 

言い方を変えれば、

 

私は、自分の選ぶ道というものに対して、

 

基本的に

 

後悔などはありえない。

 

 

 

それだからこそ、

 

好奇心に押されてしまったり、心を偽って生半可な

 

気持ちで求めあったりしてはいけないと思うのだ。

 

 

 

 

 

よく、女性側からの表現方法として、”●を

 

あたえる”という言葉を使うことがあるが、私は、

 

あまり好きな表現ではない。根底に愛というものが

 

ある限りは与える、与えないという図式は

 

成り立たない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山口百恵

 

 

盛夏、暑い日だった。

 

 

 

濃紺のワンピース、白い小さなブローチ。

 

 

 

貫くような蝉の声、加湿器の白い霧、

 

 

 

ギターの弦を弾く音、

 

 

 

And  I  Love  her

 

 

 

 

 

 

...その日、私はごく自然に女になった。

 

 

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

昭和58-12-28

発行:集英社

著者:山口百恵

「蒼い時」

より紹介しました。