恋という感情は、自分の中に確認してから しばらく
私は、性に対する自分の姿勢を、きれいごとで
済ませられると思っていた。カラダを合わせる
だけがすべてではない。と考えていた。
しかし、心が
募るにしたがって、身の内に不思議な感覚が走る
のを、否定することはできなかった。求められると同時に
求めることを知った。
心とカラダが
説明できない波に、すっぽりと包まれてしまうのである。
好奇心や恐怖心がなかったといえば嘘になる。
ただ、それよりも愛する人の胸にすっぽりと、
包まれたときの安堵感。このまま、ときの中に解けて
いきたい感覚を味わいたいと、ごく自然に思う
ようになっていた。
そして、その思いは、割合い正直に
表現できた。表現というより、お互いの
求め合う気持ちのタイミングがある瞬間、
一致したといったほうが正確である。後悔などは決して
しない。私は、これだけを誓った。
言い方を変えれば、
私は、自分の選ぶ道というものに対して、
基本的に
後悔などはありえない。
それだからこそ、
好奇心に押されてしまったり、心を偽って生半可な
気持ちで求めあったりしてはいけないと思うのだ。
よく、女性側からの表現方法として、”●を
あたえる”という言葉を使うことがあるが、私は、
あまり好きな表現ではない。根底に愛というものが
ある限りは与える、与えないという図式は
成り立たない。
盛夏、暑い日だった。
濃紺のワンピース、白い小さなブローチ。
貫くような蝉の声、加湿器の白い霧、
ギターの弦を弾く音、
And I Love her
...その日、私はごく自然に女になった。
備考:この内容は、
昭和58-12-28
発行:集英社
著者:山口百恵
「蒼い時」
より紹介しました。