「あんた。よく続くねぇ。あの仕事」
宝くじ売り場の、顔見知りの中年女性に
そう言われたとき、桧山さんは、てっきり
自分の年齢から、体力の事を言っているのだ
と思っていた。
彼は、60代で、幸いリストラの津波にも
巻き込まれることなく、長年勤めてきた
職場を無事、退職することができた。
それで、しばらく家で安穏とした生活を、
妻と送っていたのだが、そのいいかげんさが
次々とあからさまになってゆく
某省庁と年金への不安、そして、少なくない
とはいえ、退職金を取り崩していくことに
いろいろ思うところがあり、カラダが達者な
うちは、再び働こうと思うようになった。
幸い彼は、痩せてはいたが、見かけよりも
ずっと健康で、若い頃から病気らしい
病気はしたこともなく、気力も充実していた。
そんな彼が、求人広告で見つけて
採用されたのが、自転車を一時預かるための、
屋内駐輪場...その案内員兼警備員だった
わけである。
それは、大阪近郊の、とある駅前にある。
アーケード付きの、かなり長い商店街の
ほぼ中央あたり、店舗に、はさまれて
わかりにくいが、路地に似た細い通路の
先に入口があった。
けっこうな敷地面積の、しかも古びた
2階建てビルの1Fスペースを、ほぼ
すべて使用している。
!Fは、もともとは市場であったらしい。
けれども周辺の大手スーパーに圧迫
されて、成り立たなくなってしまったようだ。
「ほぼ」と言ったのは、L字形になった
内部の四方には、シャッターが分厚く
おりていて、店舗であった部分をおおい
隠しているからである。
現在は、広い通路を利用して、
旧式の駐輪機設備が施され、駅前という
立地条件もあって、利用者は、それなりに多かった。
(それにしても、この通路が、かつては
買い物客で賑わっていたなんて...
とても思えないなぁ)
利用者は、自転車を持ち込んだは、
さっさと出ていく。あるいは、取りに来て帰るのも
あっという間だ。これも旧式の蛍光灯の
明かりが頼りない駐輪場は、ほとんど
常時がらんとしていて寂しく、うす暗く、
シャッターが晩秋のすきま風にガタガタ
と音を立てるのだった。
もっとも、利用者のなかにはマナー
意識に、とぼしい者も少なくない。
ちゃんと器具に車輪を入れずに、
隣の自転車に迷惑を掛ける者。
ロックをしないで、放置状態にしていく者。
ずっと、取りに来ないで、そのままだ
と思ったら、盗難自転車だったという
ケースすらあった。
「まったく、最近の若いやつや、
おばちゃん連中と来たら...」
利用者の半分は通勤通学のため、
駅まで自転車でやってくる者。残りはどうやら
周辺に集中しているパチンコ店目当ての
者だと、桧山さんは、見当をつけていた。
しかし、利用者の背景など、
仕事には関係ない。
入り口にあるボックスで桧山さんは、
使用料金を受け取り、預かり時刻を記した
レシートとロック用のキーを渡し、また、
取りにやってきた人間から、キーを返却
してもらう。
その一方で、前述した問題自転車を整え、
器具に不備があれば、ビルの2Fにある
管理事務所に連絡をして直してもらう。
単純ではあったけど、神経も使うし、
体力もそれなりにいる仕事では
あった。何といっても成人用の自転車は、
そう軽いものでは、ない。
けれども日が経つうちに、仕事にも慣れ、
日々を送っていた桧山さんで
あったのだ。だが...、
実のところ、利用者のマナー以外にも
気になる...いや、どうにも理解でき
かねることがあった。
ときおり、
ポン!
と、背後から肩を叩かれるのである。
明らかな放置自転車を片付けようと
苦心しているときなどに。唐突に肩を
叩かれる。誰か、用があって肩を叩いたの
だろうか? それとも管理事務所の人間でも
やってきたのか...?
「はいはい」
作業を中断して、振り向いても、
そこには...何の影もない。
そんなときは決まって、場内は利用者は
1人もいない。頼りない蛍光灯が
ぼんやりと光り、すきま風が、
がたがた、がたがた
と周囲のシャッターを揺らして
いるだけなのだった。
...
そんなことが何度もあった。
何度も、何度も...。
備考:この内容は、
2009-7-5
発行:KKベストセラーズ
著者:さたな きあ
「とてつもなく怖い話」
より紹介しました。