【部屋中に満ちる何かの気配...】
彼女の食欲が落ち、人相すら
変わってきたことは、すでに述べた。
そうして...。
彼女は「あの日」、ふらふらになりながら、
昼下がりに部屋に戻って
来たのだった。
(どうして...私、こんなことになったわけ?
私が何をしたっていうの?
こんなの生活なんかじゃあ、ない。
こんな日々を送るために、ここにきたんじゃない)
それなのに...。
「ちるちるみちる・城みちる」
体力も精神力も限界であった。涙が
出そうだった。部屋には戻りたくない。
特にこんな時間には。けれども、とにかく、
横になりたかった。他に行くところも
ない彼女にとって、それがすべてであった。
その思いが不安や怯えを、脇にやって
しまっていた。一時的であるにせよ...。
鍵を開けてふらふらと部屋に入った
彼女の背後で、ぎしっ、ぎしっと、クローゼットの
開き戸が開く音がした。
......ギィィィィ。
「・・・・・・」
なにかの気配が、部屋中に満ちていた。
上天気が続く明るい部屋。しかし...。
(振り返ってはいけない)
彼女の意識が、そう訴えていた。
(後ろを見てはいけない)
けれども、彼女は振り返っていた。
そうせずにはいられなかった。
・・・・・・そこに、「何か」が、いた。
女であった。
もちろん、友人などでは、ない。
見知らぬ女だ。
白系の裾が長いワンピース姿で、
艶のない黒髪が顔にバサリと、かかっていた。
陰になった顔は、人相も年齢も、
表情もわからない。
「ヒッ」
歩いているようにも思えないのに、
「それ」は、すーっと、S美さんに近寄ってきた。
S美さんは、動けなかった。声も
出せなかった。
その代わりに、「それ」の声が聞こえた。
髪の間に、「それ」の目が見えたような
気もした。正気がそこかに行ってしまうような、
ぽこっと開いた2つのANA...。
...しの、へやだ。
ココ、ハ
ワタシ、ノ
部屋、ダ...。
あの、冷気が吹き付けてきた。
そして、何か腐った肉のような悪臭も。
S美さんは、その場に崩れ落ちた。
「・・・・・・」
女は、クローゼットのところに行くと、
中に入り込んだ。
入り込むというよりは、にじみ
込んだというべきだろうか?
後は...A子さんが目撃した
とおりである。そばにあったタオルケットを頭から
かぶって、震え続ける以外、S美さんに何が
できただろう?
...半信半疑だったA子さんでは
あったけれど、いつかのトイレの件もある。
あのときは、自分も冷気を感じたのだ。
【あの部屋で何があったのか...?】
A子さんは震えるS美さんをともなって、
その足で再び「駆け込み寺」に行った。
ただごとではない様子の2人を見て、
主人はどうやら彼女たちが、何を訴えにきたか、
悟ったようであった。
いつかのように話を...
こんどは常軌を逸した話を...
途中で遮った主人は、
しきりに舌打ちをしながら、言うのだ。
「いやぁ、ま、ね、あんたたち、
ずいぶん長く何も言ってこなかったからね。
こんどはイケるかなあ、と思ったいたんだけどねぇ...」
その後で、主人から得た「あの部屋」に
関することごとは、以下のような
ものであった。
以前に、あの建物のどこかの部屋で、
母娘がひっそりと暮らしていた、母親の
ほうは、年金受給の年齢であったにもかかわらず、
ひどい若作りで、髪を津遠位黒く
染め、裾の長い白系のワンピースを
いつも来ていたが、一方でひどい外出嫌いで
あった(もっとも建物が改装される以前の話で、
自分はその時、物件としては
ノータッチだったため、これらの話に責任は
持てないと「駆け込み寺」の主人は
付け加えている。
娘は婚期を大幅に逸した年齢であったが、
どんな事情だったのか、無職で、生活は
もっぱら母親の年金に依存していた。
その母親があるとき、急●した。
自然●だったらしいが、娘は年金が停止される
ことを恐れて、母親の●をしかるべき
ところに預けず、それどころか、●体を押入れに
入れて、隠してしまった。そして、
娘と●体との「2人暮らし」という異常な
状況が相当長期にわたって続くことになる。
娘は、ドライアイスや氷をひんぱんに
買ってきては、母親の●体
のまわりに積み上げ、
少しでも腐敗を遅らせようと試みた
のだとか...。
結果的に●体は発見され、娘のほうは、
「保護」されたのだが、そのときには、
母親の体は、グツグツも泥状になっていて、
押入れの床や壁に汚れ汁がしみこんでいた。
いや、そもそも、その屍汁のすさまじい匂いと
階下への浸透が発見のきっかけ
になったらしい...。
改築されてからも特定の部屋には
入居者が居つかず、だからこそ早急に都合
できる物件になっていた(その入居者たちが
具体的に何を体験し、どうなったかは
「個人情報」で言うべき立場にないと、
「駆け込み寺」の主人は断言した。
「ま、ね、たしかに物件としては、
下の下かもしれないけれど、どれも尾ひれのついた
噂の域を出ないからね。うちも、
慈善事業じゃないし、ね。
あんなところでも、イイって人間は
いくらでもいるんだよ。いろんなワケありの
やつが、いるからねぇ。改築前は
転送電話だけ置いていた時期もあったそうだよ。
ま、どうせ、ろくな目的じゃ
なかったろうけど、ね。
ま、ね。出ていきたければ、
今日でも明日でもいいよ、こっちは、いっこうに
構わないから、ね。...
気にするようなことでもないし」
そう言って、「駆け込み寺」の主人は、
椅子の上で、肥満体を揺らすのだった。
...2人は、またしても一時的では
あるにせよ、例の友達の所に
転がり込むことになった。
備考:この内容は、
2009-7-5
発行:KKベストセラーズ
著者:さたな きあ
「とてつもなく怖い話」
より紹介しました。