「飛んでイスタンブール」
今も残るローマ時代の
都市遺跡。
「エフェソス遺跡・セルシウス図書館」
シェイクスピアの悲劇の題材にも
なった2人が、つかの間の平穏を
過ごした地とも言われるエフェソス。
トルコ西武のエーゲ海沿岸に
紀元前11世紀頃、イオニア人が建設した
この港湾都市は貿易により発展しました。
「バシリカ・シスタン」
ローマ支配下後は、アジア州の
州都として大いに栄えた古代都市の
遺跡が、2015年い世界遺産に
登録されました。なかでも、郡を抜く
美しさを誇るのが、セルシウス図書館
の遺構です。
壁には知識などを象徴する
4体の像(レプリカ)が立ち、
柱や梁は細部まで精緻な装飾が施され、
117年の完成当時はさぞ、
壮麗であったと思われます。
かつては、1万冊を超える蔵書を
誇り、アレキサンドリア、ペルガモンと
肩を並べる図書館でした。
「万物は流転する」と説いた
古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス
が生まれ、7不思議と称えられた
豊穣の女神を祀るアルテミス神殿が
建造され、使徒パウロがキリスト教
を伝道し、聖母マリアが使徒ヨハネ
とともに、余生を送ったと伝わる
エフェソス。
まるで、古代の歴史絵巻を見ている
かのように、時間旅行が楽しめる
世界遺産です。
【イスタンブール歴史地区】
良港を持つ軍事と交易の要衝
イスタンブールの旧市街は
ヨーロッパ側に位置し、深く
切れ込んだ金角湾の対岸には新市街が
広がり、西地区はガラダ橋によって
結ばれています。
東は黒海、西はマルマラ海を経て
地中海に至る交易の要衝は、良港
として知られた金角湾を有し、守り
やすく攻めにくい天然の要塞でも
あり、古くから覇を競う権力者たちに
とっては生唾の的でした。
「ブルーモスク」
330年、ローマ帝国のコンスタン
ティヌス1世が、ローマからこの地に
都を移し、「コンスタンティノーブル
(コンスタンティヌスの都)と
呼ばれるようになります。
「コンスタンティノーブル」
395年にはローマ帝国が東西に
分裂してからは、東ローマ(ビザンチン帝国)
の主婦となり、中世ヨーロッパ
有数の都市として、千年の歴史を
刻むことになりますが、一方の西ローマは
376年に滅亡します。
その後、ビザンチン帝国は、11世紀に
東宝から侵入してきたセルジューク朝に
脅かされるようになり、
キリスト教徒を保護する目的で十字軍の
遠征が始まります。セルジューク朝が
13世紀に滅ぶと、変わって対等
してきたのが、イスラムのオスマン
勢でした。
15世紀、軟膏不落といわれた
コンスタンティノーブルは、オスマン帝国
7代目スルタン、メフメット2世の
軍隊に包囲され、53日間持ちこたえた
ものの、1453年、ついに
陥落するのです。
「カッパドキア」
「ベラパレス・ライブラリールーム」
1892年に開業し、かつて映画を極めた、
で、豪華な旅をする人々のために建てたホテルです。
「オリエント急行●人事件」著者、アガサ・クリスティの
定宿として有名です。歴史的な雰囲気と充実した設備が
融合した快適なホテルです。
備考:この内容は、
2024-4-15
発行:阪急交通社
「Vamos west」
より紹介しました。
(編集後記)
きゃは!
Qちゃん、後時脱字だらけね。
文字と、画像もマッチしていないし。
どうして?
うっ...!
めんご、めんご、
高校野球を見ながら、
ブラインドタッチで
入力していたので...。
あい、とぅいまちぇ~ん。
きゃは!
うそつけ!
「ですよ」か!