中学を卒業した私は、やっぱり、
バレーボールをやりたくて、進学すべき高校を
選んだ。それが、Y口県の
三田尻女子(現・S英)高校だ。
大津中学のバレーボール部員の多くが、
同じH庫県内の、須磨の浦女子
高校に進学していた。バレーをやるなら、
同じ県内の強豪校へ、という流れが
しっかりとあったのだ。
実際に、S磨の浦に
進学した先輩たちが、「すごくいい
ところだよ、おいでよ」と言ってくれたり
していたし、須磨の浦高校のバレー部の
先輩と練習試合をする機会もあった。
だから、練習やバレーのスタイルは、
すでに中学にいたときからわかっていた。
バレーボールをやりたいのならS磨の浦。
そうでなければ、一般入試で
ほかの高校を受験する。それが、
大津中学バレーボール部員の常識。顧問の
先生からも、そう言われていた。
進学先を決断しなくてはいけない
時期になって、実家の両親のほうに、
三田尻女子高校から
「バレーの練習見学に来ませんか?」
というオファーがあり、
両親と私は、見学に出かけた。そこで、
かつて、大津中学バレー部の練習見学に
出かけたときのように、私は、三田尻女子高校に
大きな魅力を感じたのだった。
見学に行ったM田尻女子は、なんというか、
”泥んこバレー”というイメージ
だった。ともかく、貪欲にボールを
追いかけていく。コーチの先生は熱く語った。
「東京などの都会チームは、
すごくキレイなバレーをするんだよ。でも、
私たちみたいに、田舎の高校生は、
泥んこでいいんだ。どんなに汚れても、
泥だらけになっても、泥んこバレーで、
一生懸命ボールを追いかけるのが
いいんだよ」。
先生の言葉通りに、部員がみんな、
元気にプレーをしている。その熱が、
私の胸に迫ってきたのだ。
バレーボールに限らず、中学や
高校の部活では、先生やコーチの影響力が
大きい。基礎的なテクニックをマスター
するプロセスとして、どうしても個性より
チームとしての動きが中心になる。
部員である生徒たちは、コーチからの
指導を、ただただ一方的に受けるという
スタイルになりがちだ。
三田尻女子高校の練習見学では、
選手それぞれの個性を活かすような練習に
見えた。選手が持っているいいところを
伸ばして、足りないところを補う練習
をする。
こんな指導を受けて一生懸命やったら、
私だって、まだまだバレーが
うまくなれるかもしれない。
バレーがうまくなれる場所で、私はプレーを
続けたい。そう思わせてくれるチーム、
練習内容だったのだ。
「三田尻女子に 行こう!」
そう心に決めたのは、進学決定と
しては、ギリギリの中学3年生の12月。
大津中学の転校するときにも、
最終的に私の「行きたい」気持ちを尊重して
くれた両親は、高校進学でも
私の決心を最優先に考えてくれた。
「メグが、決めたことだ。応援するよ」
父も母もそう言って、進学の
手続きをしてくれた...。
備考:この内容は、
2008-5-17
発行:実業の友社
著者:栗原恵
「めぐみ」
より紹介しました。