番号の男といっても、ジェイムズ・
ボンドのたぐいのスパイや野球選手のことでは
ない。囚人のことである。
スタインベルグの漫画に、
指紋と数字だけで囚人を象徴的に
描いたのがあった。自分の存在が
それだけでしか認められないとなると、たしかに、
あまりいい気分ではあるまい、悪への
むくいとして効果的であり、すばらしい考案だ。
姓名を呼んだり、敬称までつけたら、
まるで意味がなくなってしまう。看守にチップ
でも渡さなければ、おさまりがつかない。
監房の前に来た看守が、
中の囚人に言う。
「おまえへの電報が来た。読んで
やろう。タンジョウビオメデトウ、135738さま」
聞かされても、少しもおめでたい
気分にならない。また、こんなのもある、面会人
だと告げられ、いそいそと面会所に
囚人が現れてると、すごい美人がいる。胸を
ときめかせる囚人に、女がこう言うのだ。
「失礼、番号ちがいでした」
看守が囚人を、ぶんなぐっておいて、
胸の番号を見て
「や、番号ちがいだった」
刑務所の庭で他の囚人に、
「だ～れだ？」と、
手で目かくしをされて
「14856号かな？、
いや、23078号だろう」と答える。
ちっとも、ぴんとこないだろう。
美人の囚人で、胸の番号がバスト、
ウェスト、ヒップのと一致している場合もある。
また、同じ番号で、若い方には「JR」（二世）
とついているのもある。父子ともどもと
いうわけだ。
一桁や二桁なら別だが、何桁にも
なった数字ほど覚えにくいものはない。数字に
関してだけ異常に記憶がよくなる
精神病があるそうだが、その患者と特殊な職業の
人を除き、一般に数字とは覚えにくいものだ。
大蔵省に勤めている私の友人は、
予算がどうのこうのと言いながら、何桁もの
数字をペラペラと口にする。だが私は、
それが仕事なのだから当然だと、あまり感心
しないことにしている。へたに感心して、
「あれはでたらめだよ」と大笑いされるのも、
しゃくだからである。
終戦後、しばらくの間、台風に
アルファベット順の女性の名をつけた時代が
あった。キャスリン台風とか、キティ台風とかの名は、
なつかしい響きを持っている。
それがいつのまにか廃止され、無味乾燥な
番号になってまった。それ以来、私も台風に
安心がなくなった。
旅行先で
「これが、一昨年の13号台風の被害です」などと
聞かされても、記憶に残らないのだから、
あまり同情心もワイテこない。数字での表記は
合理的なのかもしれないが、決して実用的ではない。
昨今は、番地変更とやらで、むやみに
数字の多い住所がふえてきた。これで誰が、
便利に成るのだろうか？ 誤記が増え、
郵便局の手間だって、あまり減りはしないだろう。
「若菊町」と書き誤っても「若葉町」に
届くだろうが、数字の間違いでは、そうは
ゆくまい。アメリカの電話機のダイヤルは、
ローマ字と数字とが表記されており、たとえば
HANOVER局は、HAと回せばいい。
このほうが、利用客本位のように思えてならない。
なにもかも数字というのは、まるで
ロボット扱いだ。年月をかけても、慣れることは
できまい。ある外国の学者が、
「機械がいくら人間に迫ろうがと、それは脅威ではない。
人間が、機械のようになる傾向のほうが
恐ろしい」と言っているが、それが
正しいようである。
ついでだから、数字のことをもう少し書く。
かつて私は、手形の良否を見分ける術を
教えられた事がある。商品取り引きの
裏付けのある支払手形と、それをよそおった
金策のための融通手形の区別である。
もちろん、後者のほうが不渡りになる可能性が
多く、受け取るときは注意しなければならない。
その極意とは
「うそのゴサンパチ」という文句である。
さももっともらしく架空の
数字を並べるとき、「538」の現れる率が多い
のだそうだ。だから、「538」の多くも
含まれた金額の手形は、要警戒なのである。
漫画に登場する囚人たちの番号を
眺めていると、そこにも この原則が適用されて
いるようだ。私の気持ちのせいかもしれないが、
それにしても、妙な説を考えついた
人もあるものだ。
囚人番号を分類すると、いくつかに
分かれる、第一に多いのが監房。つぎに多いのが
面会所。その次が、脱獄計画、
その他は、ぐっと少ない。
中庭とか、所長室、食事や
女囚人などである。
まず、監房を取り上げる、1室に2名の
囚人が収容されており、二段式ベッドか
鉄格子が描かれてあれば監房を意味する。
アメリカや日本で実際にどうなって
いるのかは、私も知らない。そんなのは、
どうでもいいことだ。
「事実と違うぞ」
と、批評するやつはいないからである。万一、
現れたら、相手の顔をじっと見つめればいい。
あわてて、弁明をはじめるか、口を
つぐむかのどちらかである...。
同室の2人は、たいてい仲がいい。
なかには、口論のあげく「文句があるのなら、
ここから出て行け！」と、もう1人に
どなっている図のもあるが、例外的だ。人間とは
こんな場合、必然的に仲がよくなる
動物なのだろうか？
同室の友の肩を抱き、
「おまえはいいやつだな。おれと同じ性格だ」
と話しかけている構図のがある、すぐには、意味が
わからなかったが、刑務所入りをするような性格と
いう点では、同じわけである。話かけられている
ほうが無実の囚人としたら、さぞ
嫌な気分になるのだろう。
そっくり同じ顔の2人が、
同じ部屋というのもある。
「なんだ、おまえもあの整形外科に
かかったのか？」
ときには、悪人であることを忘れる
ときもあるらしい、トランプをやりながら相手に
向かって
「おれがイカサマをやっただと...。
お前はどうなのだ？」
と、叫んだりしている、
お互いに、立派な口をきける状態ではない。
ゲームといえば、サイコロで遊んで
いる者もある。看守の足音を聞きつけ「手入れだ。
速く隠くせ！」と、慌てている。
根っからの悪人というわけであろう。
退屈をもてあまし
「どうだ？ 家具の
配置替えでもやるか？」という者。
監房の家具など、
椅子がひとつあるぐらいのものだ。
かくれんぼも、すぐに見つかってしまう。退屈
しのぎに本物そっくりの紙幣の絵を
壁に描いているのは、いうまでもなく偽造犯。
雄大な風景画を描くのもいる。ヌード美人を
描き分けるが、あまり長く入っていて、女とは
どういう形のものだったか忘れて
しまったのもいる。
ヌード美人の絵が盗品の隠し場所の
地図になっているというのは、頭のいい
やり方だ、記憶だけだと薄れることがあり、
メモに書いておくと、看守や同室の者に
取られてしまう恐れがある。
監房に男と女が入っているのも少し有る。
「これは、何かの計略にちがいない」と
警戒する囚人。
「所長がこの進歩的な
方針を採用してから、誰も脱獄しなくなった」
と、まんざらでもない囚人。
もっとも多い構図は...？
次回を、お楽しみに。
備考：この内容は、
令和3-12-30
発行：新潮社
著者：星新一
「進化した猿たち」
より紹介しました。
