【一人格として生きるために...】
文明の利器は、たしかに「便利」、「安楽」、「スピード」をもたらしましたが、
その反面、人間から「待つこと」「耐えること」「静かに考えること」といった
習性を奪ってしまったかのように思います。
数年前、NHKがスペシャル番組として、
1人のアメリカ人の少年について
放映しました。崩壊家庭に生まれ育ち、
友人といえば、いわゆるワルばかり。
かくて自らも、非行に走って刑に
服している15歳の少年の話でした。
彼は刑期を終えたら、今度こそは
”まともな”生活を 送りたいと考えて
いるのですが、その方法がわからない。
そんなある日、1人のホームレスが 彼の働いて
いる作業場に来て話しかけます。
「お前は、何にぶつかった時、
反射的に行動し、それから感じ、それから
考えるという順序で生きてきたのか?
それとも、その逆の順序だったのかい?」
いわれた通りの順序だったと答える少年に、
ホームレスが言いました。
「だから、お前は、今ここにいるのさ。
これからは、逆の順序でやってみな!」
この時から少年の、自分自身との戦いが始まりました。
どんな相手や物事に対しても、まず考え、次に感じ、
しかる後に行動する...失敗を重ねながらも、
この順序を繰り返すことによって、少年はやがて
”まともな”道を歩む人間に
変わっていったという話でした。
実はこの、まず考えるということ、
次に感じる余裕を持ち、その後に行動する
という順序こそが、「一人格」としての生き方なのです。
ローマのカトリック教育省が出した小冊子は、
次のように暗記しています。
「カトリック学校は、一人格に
なるための、また人格としての人間のための
学校であることを、その根本としている。
...人間が人格になってゆくことが、
カトリック学校の目標なのである...」
備考:この内容は、
2014-3-30
発行:幻冬舎
著者:渡辺和子
「置かれた場所で咲きなさい」
より紹介しました。