でも、宇宙の描き方や、近未来の地球を
想定したシーンなんかで、結構工夫しているな、
と思ったところはある。
「西部警察・爆破シーン」
例えば、最初のほうに
出てくるコンピュータで制御された無人の長距離輸送
トラック。見た感じも重量感があって、
ありゃなかなかのもんだよ。前方にオートバイみたいな
機械ものがあった場合は、轢き潰しちゃって、
人間と動物とか有機体があるのを感知すると
停止するようになっている、ってのも面白い。
宇宙ステーションの中へ入っていくシャトルとか、
船外作業員がそのシャトルを誘導する風景も、
ハリウッドのスタッフが作っただけの
ことはあって、さすがにリアルに仕上げられているよな。
ああいうのは、やっぱり日本の技術じゃ
まだ作れない。
まあ、とにかく、ハイテク社会の日本人は
結構コンピュータに、馴染んでいるから簡単には
だまされないけど、発展途上国の諸君には、
この映画ぐらいのSFX映像のほうが、ちょうどいいかも
しれないね。聞くところによると、この映画は、
世界同時上映だっていうし、途上国の客には
結構感動を呼ぶんじゃないの...?
なにしろ、東芝がアラブに輸出している
扇風機なんかは、下のところにカセットデッキが付いていたり、
水パイプ付きの扇風機があったりするんだぜ。
つまり、各国仕様になっているって
ことだな。日本製品といっても相手国の事情に
合わせていろいろ作っているからね。
だって、アメリカ製のninja映画なんて、
日本人は「バカヤロー、そんな忍者いるか?」
って怒っちゃうけど、日本以外の国じゃ、
大ヒット作品だもんな。
それでもさ、提督役のチャールトン・ヘストン、
あれだけはなんとかしてほしかった。きっと
一番ギャラが高いんだろうけど、一番役に
立たなかった...。
あれじゃあ、ダイエーのゴセージ
みたいだぜ。まったくの話。おまけに、最後に
バズーカ砲まで発射しちゃって、あれは、監督に強引に
命令して、無理やり自分の見せ場を作らせ
たんじゃないの!?
それに、こういう映画には必ずといっていいほど、
日系人のスタッフが出てくるんだよな。
この映画でも「ミナミ」って名前で登場してるけど、
間違っても「トウゴウ」とか「ノギ」って
いうのは使わねえだろ。まあ、当然のことだけどさ。
最初に言ったようにSFXにしろ、普通の映画にしろ、
要は想像力を、どう刺激するかって
ことなんだ。
例えば時間の他院にで「劫(こう)」ってのがあって、
巨大な岩を柔らかい布で百年の1回の割合で
拭い続け、岩がようやく摩滅しても、
まだ「一劫」が終わらない、
そのぐらい長い時間ってこと。これを
一単位にして、インド人は、宇宙の時間を
考えていたらしい...。
宇宙ゴマを回すロープっていうのと同じで、
人間の発想力の可能性を感じさせる話だろ、オイ。
古今亭志ん生師匠のネタで、
「でっかいナスがとれたんだけど、
でか過ぎてどうにもならない」
「どれぐらいのナスだい?」
「そりゃあ、お前、暗闇にヘタをつけたくらいなもんよ」
ってのがあるけど、お笑いのすごいやつってのは、
宇宙的な想像力と通じるところがあるんだな、
これが。
「火焔太鼓」のしょっぱなのところ、小道具屋の
オヤジが太鼓を買って帰ると、口うるさいバアさんが、
「汚い太鼓だね。こんなゴミばっかりのものどうするの?」
といってはたきをかけようとする。で、
オヤジがあわてて、
「ダメだよ、はたきをかけたら なくなっちゃうよ」
というやりとり。これなんかも宇宙的な
発想だと思うね。
だから、SFX映画も、シナリオの段階で
宇宙的な発想をしっかり織り込んでおかないと、
どうにもならない。せいぜいがオタク族の
喜ぶ細密描写だけの映画になってしまう。
コンピュータに使われちゃうんじゃなくて、
精神・想像力で それとどう闘うかってことを
やらないと、結局はディズニーランドの映画どおり、
『2050』でもしゃべれるコンピュータを
出したんなら、そいつがもっとわけのわからない
暴走をするとか、人間の推測や理屈をはね返すもの
にしてだな、それとの闘いをドラマの芯に
据えていかなけりゃ、大人を感動させる
ものにはならないだろう...。。
オレは、SFX映画を撮りたいとは思わないけど、
作りたい人はもっと、尺度の描き方に気を
使ってほしいね。宇宙船の大きさを客の肌に
感じさせるためにはどうしたらいいか?
知恵を絞るべきだよ。
たとえば、テレビのニュースだって、
押収した麻薬を映すときには、決まってタバコを横に
置くじゃない。まあ、警察の演出だろうけど、
映像のプロたちはその上をいって当然じゃない?
「パンツ儚いいのち」
もう1つ監督の立場で言うとすれば、
飛行士の能力についても、宇宙船の機能にしても、最初の
ところでそれを、1回きっちりと客に見せておく。
すると、次回以降、出てきたときには、もう客の
ほうで勝手に理解してくれるから、その描写を
省けることになる。これが映画的手法の面白い
ところで、その意味でも、それぞれのファースト
シーンってのはとても大切なんだ。
というところで「カット、カット!」。
備考:この内容は、
1991-12-18
発行:太田出版
著者:ビートたけし
「仁義なき映画論」
より紹介しました。