野球協約のスキをついた”空白の1日”。
いわゆる”E川事件”は、ほんまに世間を騒がせましたな。
あの事件で男を上げたんが、昨シーズン限りで、
引退したK林繁ですわ。文句も言わんと、潔く
Hん神へ行くし、その年 22勝はするし、K林
フィーバーが起こったんは、当然ですやろ。
けど、あのとき、E川の見返りとして、何で、
K林が選ばれたのか? これは興味深い問題でっせ。
K林のほかに、N本聖も、N浦寿夫も、いたんやから...。
ボクが考えるところでは、まず、将来性という
ことがあると思いますわ。
見てのとおり、K林はスリム。
モデル奈良、申し分ないけど、野球選手としては、
体力的ハンディになる。
”K林は、そう長いこと、
10勝、15勝、できないだろう?”
というK人軍首脳は、そう読んでたんだね? きっと...。
白羽の矢を立てられたK林。
「おまえ、すまんけど、E川の代わりに、
Hん神へ、行ってくれんか!?」
そう、言われて、
「はい、わかりました。エースいわれてても、
しょせんは浮草稼業。わかってます。
Hん神へ、行かせてもらいます」
これはない。そう簡単に納得できるはずあらへん。
納得させるために、どうしたか?
むろん金ですわ。少なくとも、5,000万円くらいの
金は動いてるやろね。あくまでも想像やけど、
引っ越したあとのことまで、
面倒みるくらいの条件は
出しとったかも知れへんで...。
とにかく、ダーティな部分があったことは
事実や思いますわ。けど、そこは藪の中。
永久に表に出てくることは、
ないような気がします...。
Hん神に移った早々の 22勝。しかも、K人軍から
8勝もしとる。ここには、疑惑は ないやろか?
”球団も、ひどいことしよるな。コバだけやない。
明日は我が身や。こうなったら、コバに
勝たしたろ”
かつての同僚が心情的にK林に同情して、
K林が出てくる試合は、●を抜いた? ありそうな
話やけど、これはない、とボクは思います。
確かに球団の仕打ちには、選手全員が反発したやろ。
だからといって、
”K林が投げてるときは打たんとこ...”
そんな風に選手が考えた思うたら、間違いですわ。
プロ野球の選手というもんは、そんなことでけん。
自分の好きなコースにボールがきたら、
本能的にカチ~ンと、
打ち返してしまうもんですわ。
ただ、やりにくさは、あったと思います。
”ああ、K林かぁ。
なんや知らん、やりにくいわ~”
この程度のことは、みんな感じとったやろね?
それと、お互いに手の内を知り尽くしていることが、
K林に有利に働いたということはある
はずですわ。
知り尽くした相手やったら、投手が絶対有利。
K林のボールを打つのは「紅白戦」くらいしか
ない。K林が、真剣に東急するのと大戦する機会が、
K人軍の打者にはなかったんやから。しかも、
K林投手は、K人軍打者の欠点の知り尽くしてる。
勝負は、初めから決まっとったんや。ボクは、
K林が実力で勝ち取った20勝やったと思っとるで。
新装いうても、ボクが確実に言えるのは、
このくらいのことやな。
ただ、すべてがクリーンやったら、
必ず、マスコミに、発表されるわ。
発表されへん いうことは...?
あとは、自分で考えて!
ボクかて、言えへんことは
ありますねん。
確証つかむまで、待っとって...!
備考:この内容は、
昭和59-6-27
発行:青春出版社
著者:VAN東英二
「プロ野球
知らなきゃ損する」
より紹介しました。
(編集後記)
あの~、
近くても、イニシャル遠く
になった点、お詫びいたします。
きゃは!
イラストもでしょ!
誤字脱字も多いし...。