NECに合流したのは、高校を
卒業した後の4月になってから、ほかの新入選手は
もっと早く合流した人もいたみたい。
卒業前に何度か、練習に参加させていただく機会は
あったけど、本格的に合宿所に入ったのは、
4月の会社入社以降...。
それまでの間は、
自動車の運転免許を取得したり、
わりと、普通の女の子の生活を、思いっきり楽しんだ。
Vリーグに入ったら、それまでと、
生活が一変して、びっくりの連続。
そもそも高校生は、授業が終わってから放課後に
練習する。でも、当然のことながら、Vリーグでは、
朝から1日中、練習のスケジュールが
びっしり組まれてる。
それも、每日。ボールを
使ったトレーニングは、そのごく一部で、
走り込みはする。最新設備を使った筋力
トレーニングもする。
新人は、それ以外にも、
細々とした雑用もこなさなくては
いけない。
高校生までは、せいぜい2歳年上の
先輩と接する程度だったのが、すごく大人の
選手と一緒にプレーをしたりもする。
何なんだ! この業界はって? 高校卒業した
ばかりなんて、まだまだほんの子ども...。
「あ、これはダメだ。すぐにやめよう」
って、思ったほど。
一応、高校までは、バレー部のレギュラーで、
しかも、レフトでエースを張っていた。
同じチームに、180cm台の選手がいなかった
こともあって、170cmの私でも、大きい
部類の選手だった。
でも、NECに入ったら、
当然のことながら、小さいほうから
数えたほうが早いくらい、身長の低い部類に
なってしまう。もう、最初は、
「ウワ~ッ、こんなすごい選手の中で、
絶対に、やっていけない!」
そう思って、足がすくむような気持ちだった。
その上、
「心が弱いから、心技体の
”シン”というニックネームまで、
つけられた。
小さい私に、何ができるのか? ここで
やっていくためには、何をすべきなのか?
その時点では、
わからないことだらけだった。
そんな時、やっぱり指針となったのは、
郁久さんの存在。大きな外国人選手がいても、
エースとしてガンガン活躍してる。
全日本選手としても選ばれている。郁久さんの
後ろ姿を、追いかけていこうって思った。
葛和監督に勧誘されて、即答して、
それでNECに入ったのに、実際には葛和さんは、
全日本女子の代表監督に就任したために、
当時コーチだった吉川正博さんがNECの
監督になった...。
NECに入ってすぐに全日本女子
ジュニアの代表選手に選出されたため、NECと
しての練習時間よりもジュニアチーム
としての練習時間のほうが長くなった。
世界ジュニア選手権に出場したりして、
やっと終わったら、もう、すぐにVリーグの
シーズンに突入。しかも、左足首を捻挫した
こともあって、リーグで試合に出る機会は
ほとんどなかった...。
2年目の春、1歳年下のスギちゃん
(杉谷祥子)が
NECに入団した。
当時私は、
まだまだ全然実力が、足りないって、
それなりに練習は積んでいたけれど、やっぱり
外国人選手が、シーズンになってチームに
合流すると、せいぜいピンチサーバーとして
ベンチに入る程度。それが、入ったばかりの
スギちゃんは、その年、新人賞を受賞する
活躍を見せた。
NECの選手のほとんどは、
みんな全日本代表にも、選ばれている
ような選手ばかりだし、新人だから、単に
うわ~っ、すごい! うわ~、すごいって、
そうやって見ているばかりだったのに、
自分よりも、後から入ってきた新人のスギちゃんは、
そんな中でも、しっかり自分らしさを
発揮して、新人賞まで受賞。
あれっ? って思った...。
単に追いつかないなと、漠然と思って
いるだけじゃ、やっぱり前に進まない。
もちろん、へこむこともあったけど、やっぱり、
コートに立てるのは、きちんと実力を発揮
できる人。
でも、それなら、なおさら自分の
足りない部分を、もっと一生懸命練習
しなくちゃダメなんだ。
自分の、今の実力では、
足りないから、コートに立ち続けることが
できないんだって、改めて痛感した...。
備考:この内容は、
2009-9-3
発行:実業之日本社
著者:高橋みゆき
「シン!」
より紹介しました。