SF界のマスコットにして、
先進技術の象徴たるロボット。
鉄のカラダに秘められた、
彼らの魂は、銀幕の世界で
何を見るのか...?
「アイアンマン・ファントム・
クリーブス / ゾルカ博士の野望」('39年)
【はじめに...】
再構成された「世界」への旅
~いろいろ苦労を重ねたのちのことですが、
個々の機械の性能がうまく調和するように
組み合わせているうちに、
私は、再構成された人間
そのものに遭遇したのです...。
(アドルフォ・ビオイ・カサーレス
「モレルの発明」(1940)清水徹・牛島信明訳)
「アンドリューNDR114」('99年)
「ターミネーター2・T-800型」('91年)
「禁断の惑星・ロビー」('56年)
「メトロポリス・マリア」('27年)
「銀河ヒッチハイク・ガイド・マーヴィン」('05年)
ブラジルの作家カサーレス「モレルの発明」は、
永遠の生命を得た人々を
描いた哲学小説であり、究極の映画とは何かという
テーマをはらんだ奇想SFでもある。
この小説からは、2つの映画が誕生した。
これを下敷きにフランスの作家
アラン・ロブ・グリエによるシナリオが書かれた
「去年マリエンバードで」('61)と、
イギリスの映像作家ブラザーズ・
クエイ(クエイ兄弟)が、この小説を原案に
監督した「ピアノチューナー・
オブ・アースクエイク」('05)だ。
「地球の静止する日・ゴート」('51年)
同じ小説にもとづきながら、ロブ・グリエが、
心理的タイム・トラベルという
要素を含んだ静的な幻想を生み出したのに対し、
クエイ兄弟はアンドロイドを
はじめとするさまざまな
テクノロジーの産物を登場させ、
グロテスクな映像美を
展開した。
この事実は映画というシステムが見せる諸相を、
それぞれ提示している。
「スターウォーズ・C3PO R2-D2」('77年)
映画とは、失われた過去を映像として保存・再生し、
さらに改変していく
心理的タイムマシンであり、それ自体、
高度なテクノロジーの集積にほかならない。
フランスのリュミエール兄弟やジョルジュ・メリエスとともに、
映画の父と、称されるアメリカの大発明家トーマス・アルバ・エジソン。
彼は、さまざまな発明と
その事業化の功績で「メロンパークの魔術師」と呼ばれた
(メロンパークはエジソン研究所の所在地)。
そして、エジソンたちの時代から、CG隆盛の現代に
いたるまで、私達は、映画というかたちで、その時代の
最高のテクノロジーを需要し、楽しんできたのだ。
SF・ファンタジー映画こそは、先人たちが過去や未来に想いを
馳せ、再構成してきた「世界」そのものだ。
本書が、その「世界」を旅する手引と
なれば、幸いである...。
原田実(総監修)+別冊宝島編集部
備考:この内容は、
2009-2-27
発行:宝島社
「SFファンタジー
映画の世紀」
より紹介しました。
(編集後記)
あの~、SFは、
さいでんな~ ふぉ~でんな、
と、思っていたのですが...。
きゃは!
それを、言うなら、
「サイエンス・フィクション」
でしょ!
きゃは!
Qちゃんって、
関西出身なの?
えっ!
そんなバナナ?