【忘れ得ぬあの日のこと...】
農魚家レストラン・松野や店主 松野三枝子
あの日のことは、忘れもしません。2週間
ぶりに点滴の針を抜いて、お風呂に入れることに
なり、1人で浴槽につかっていた時でした。
14時46分、激しい揺れが襲い、湯船の
中で、グルングルンと、ひっかき回されました。
私は、昭和35年、小学校1年生の頃に
三陸海岸を襲った「チリ地震」の津波で、3歳だった
妹と、祖母を●くしています...。
その経験があったため、
地震が来た瞬間、海から400m
しか離れていない病院の3階にいた自分は、
助からないと、半ばあきらめていました...。
ところが、最後の「ダダン」という大きな揺れに
よって、私はお湯とともに、廊下に放り出され
たのです。
たまたま、看護師さんが、私を
見つけてくれ、必●にバスタオルを1枚、体に
巻きつけ、2人で屋上めがけて走りました。窓から
外の様子を見ると、5mはあった
防潮堤の上に、真っ黒い津波が押し寄せる
のが見えました。
病院は、市内では、比較的高い建物
だったため、近所の方も避難してきており、
院内は大混雑。
なんとか、非常階段にたどり着き、
3段目に足を掛けたときでした。
「ゴゴ~ッ!」と
いう恐ろしい音とともに、ものすごい勢いの水が、
押し寄せてきたのです。
私は、上にいた方に手を
引っ張っていただき、間一髪で水に呑まれずに
済みましたが、すぐ後ろにいた方や、点滴を
刺したまま階段にうずくまっていた方が、
まるで「ぬいぐるみ」のように軽々と、一瞬にして
水の中に消えて行きました...。
やっとのことで、屋上に、たどり着いたものの、
助かったことに、安堵する間もありませんでした。
目の前で、どんどんと、人が流されて●くなって
いくのです。ある若い男の子が、ガスボンベに
必●にしがみついたまま、病院のすぐ横に
流されていきました。
「助けてくれ~!」
と大声で、
叫んでいるのが聞こえます。
でも、屋上から
手を伸ばしても届かない。しばらくすると、
濁流の中で、ガスボンベが垂直に立ってしまい、
重さで沈みはじめました。
その男の子は叫びながら
最後の最後まで、手を伸ばしてもがいて
いましたが、
ガスボンベとともに、沈んでいきました。
その後、まもなく、真っ赤な軽自動車が、
内陸に向かって病院の前を流れていきました。
見ると、若い女の子が、ハンドルを必●に掴みながら
号泣している。
おそらくエンジンが故障し、
ドアも窓も開かないのでしょう...。
屋上にいた人たちと、
山まで流されて木の枝に引っかからないかと、
祈りましたが、引き水になったとき、
その赤い車が、今度は、海に向かって流れ
いきました。
皆、助けられるものなら助け出した
かったはずです。
でも、何もできなかった...。
防潮堤の上まで、車が流されたその瞬間、
バシャンと海に消えて行きました。
屋上には、ただ虚しく、幾人もの人が、
「わ~っ!」と、叫ぶ声だけが、
響き渡りました...。
こんな若い子たちが、流され●んでいく。
そんなことが、許されていいはずがない。薬漬けで
末期がんの自分が、あの子たちの身代わりに、
ならなくちゃ...。
泣いている私に、看護師長さんは、
「ピシャリ」と、言いました。
「松野さん、泣いている暇はないんだよ!
私たちは、神様から生かされた。
助かった私たちは、
生きなければならないのよ!」と...。
備考:この内容は、
令和4-3-25
発行:致知出版社
「1日1話、読めば心が熱くなる
365人の生き方の教科書」
より紹介しました。