杉咲花は、映画「市子」で、主人公の市子を演じながら、
「想像もつかなかった感情に到達する瞬間」に、
何度か立ち向かった。
しかも、それは、演じることを始めてからこれまで、
感じたことのなかった感覚だったのだという...。
初めての、得難い貴重な体験。
そこで、得たものは杉咲に、
おそらく、かなりの変化と
成長をもたらしたに違いない...。
はたして、その答えの意味するところとは?
そして、彼女の内にあるという、
俳優として変わらず
持ち続けていたいものとは...?
【1つひとつの役に、
そのときどきの向き合い方を探して...】
「市子」の原作は劇団チーズ thecater 主宰の
戸田による舞台
「田辺市子のために」。
自身の戯曲の映画化に際して、
戸田は直筆の手紙を杉咲花に送り、
杉咲は、それを読んで
「この船に乗りたい」と、参加を決めた。
そんな杉咲を待ち受けていたのは...、
過去を捨てても、過酷な宿命から
逃れられない市子の、
切なくも壮絶な人生だった...。
...
戸田監督から手紙とともに送られてきた
脚本を読み終えた時、涙が止まらなかった
そうですが、その涙の理由も含めて、どのような
ことを感じたのか、教えて下さい。
杉咲花> 脚本を読んだ時、この映画は、
「プロポーズを受けた翌日に、突然、疾走した市子を、
恋人の長谷川(若葉竜也)や刑事が追う
物語」であるのと同時に、
「市子自身が自分の
姿を探す物語」でもあると
感じました。
そんな市子が起こす行動であったり、発する言葉には、
引き裂かれそうな痛みがあって、
その手触りのようなものが、脚本から匂い立って
きたんです。
ひとりでは、どうしようもならない
境遇のなかで、幸福を感じてしまうこと。
明日も、この人と過ごしていたいと願ってしまう
こと。
市子という人間から湧き出てくる欲求に
心を突き動かされて、何かがしたくて...。
震える思いで、お受けしました。いただいた戸田監督の
手紙からも、並々ならぬ思いで、この映画を
作ろうとされるエネルギーが伝わってきて、
そんな作品に、自分を必要としてくださって
いることが、本当にありがたくて、絶対にこの船に
乗りたいという気持ちでした...。
...
監督は、市子の人生にリアリティを
持たせるために、実際に日本で、どんなことが
起きていたかなどの、時代背景を絡めた市子の
年表も作られたそうですが?
杉咲花> いただいた年表や、映画には描かれ
ない部分をセリフとして書き起こしてくださった
サブテキストを通して、市子が生きてきた
時間を知っていくことは、何より重要な時間
でした。
ただ、私は役作りというものをあまり
わかっていないところがあって、たとえば、
裁縫が得意な役であれば、練習をしたり、
方言を話すときは、イントネーションを教えて
いただくなど、その役の暮らしを映すような
アプローチに、関しては、しっかりと向き合いたい
気持ちなのですが、脚本を読んで
「こういう感情で、こんな風に表現したい」
と、なにかプランを持ち込むようなことはあまりなくて。
現場に行って、目の前にいる人が、どのような
眼差しを向けて、どういった温度で、その時間が
流れていくのかを知るまでは、なんだか
独り相撲になってしまう気がしているんです...。
...
その現場では、今回、「市子が自分に
近づいてきてくれたと感じた次の瞬間には、
離れていってしまう」の繰り返しだった
そうですが、近づくのと離れるのは、各々、
どういうときで、それは、どんな感覚だった
のでしょうか?
杉咲花> 離れていったと感じたのは、今、考えると、
市子が内面的なものを打ち明けるような
シーンだったんです。
当時は、演じていて監督
からOKをいただいたとしても、
「ほんとにこんな感覚になるのが、市子なのだろうか?」
と自信がなかったのですが、いま思うと、市子自身も
自分のことがわからない状態だったのでは
ないか? と少し腑に落ちました。
近づいてきたと感じたのは、たとえば恋人の
長谷川にプロポーズを受けるシーン。
あそこまでの境地にいく想像がつかなかったほど、
なにか、突き抜けた場所に到達した感覚に
なりました。
脚本を読んだ時点で、
「涙がこぼれてしまうかも知れないな」
とは、思っていたのですが、
実際に、カメラの前に立った時、なんだか
もう言葉には言い表せられないような気持ちが
湧き上がってきて。
お芝居をしていて、
演じ手をしての欲のようなものがカラダから剥がれ
落ち、ただただ、相手の言葉を受け止めて
いくような時間になりました...。
備考:この内容は、
令和5-12-20
発行:キネマ旬報社
より紹介しました。
映画「市子」 12/8 公開