初めて論文を発表したのは20歳の
時だった...。
テーマは、「ブルース・リー
映画撮影時におけるハイキックの
衝撃伝導率とベルヌーイの相似性」
だった。
その詳しい論述内容は、
割愛させてもらうが、その時、まだいち学生で、
しかなかった私を、一気に物理学会の
表舞台へと引き上げるほどのインパクトを
持った論文であった。
そして、
これを一番高く評価してくれたのが、後の
私の人生を大きく左右することになる
恩人・柏崎耕造教授だった。
21歳のときには、また別の分野で、
驚くべき偉業を成し遂げる。30キロの背のう
を背負って、世界の最高峰・チョモランマに
アタックし、見事、登頂に成功
したのだ。
その時のパーティーは、
私をリーダーとして、前に紹介した高校
時代の友人、臼井毅、本郷三四郎、駒場一路、
安田安夫の5人だった。
登頂1日目は、本郷が、日本経済の先行きに関する
論文が、学会で高く評価されたという
自慢話をしているうちに過ぎ、
2日目は、駒場が、確率論の研究のため、
ラスベガスに渡ったという自慢話を語って
いるうちに暮れていった。
3日目は、臼井が、徳川埋蔵金の一部と見られる
硬賃を発見したときの自慢話を興奮気味に
語り、
4日目は、安田が、警察官僚の
父親ぶりを自慢している間に夕闇が
迫っていた。
そして最終日、
私が高尚な科学の話をしている途中、いつの間にか
チョモランマの頂上に到達していた。
ただ、あまりに、いつの間にか過ぎて、
感動は薄かった...。
本来なら、30kgの背のうを背負った
日本人だけのパーティーが、
チョモランマの山頂を極めたという出来事は、
ニュースにでも、なりそうな快挙である。
しかし、根っこからエリートだった
私たち5人は、
「この程度のことで
騒ぎ立てられるのは面倒だ」と、
足跡や証拠を残さずに、山を降りてしまった。今、
登頂成功を証明できなのは、少しばかり
残念だが、そのときの判断は間違って
いなかったと思う。
そんなことで、
有名にならなくとも、いずれ、私は、ノーベル
物理学賞を受賞し、歴史に名を残す
存在になるのだから...。
備考:この内容は、
2002-11-30
発行:学習研究社
著者:上田次郎
「日本科学技術大学教授
上田次郎の」
”どんと来い、超常現象”
より紹介しました。
(筆者の感想)
あの~、エベレスト山なら、
知っているのですが...。
あの~、カサブランカなら、
わかるのですが、
そんな30kgも背負ったら、
荷物が、かさばらんか?
しんぱい停止です...。
きゃは!
そんな、UCCばかり飲んでいるQちゃんには、
キリマンジャロコーヒーのことは、
わからんじゃろ!?
なんちって....。