山口百恵「蒼い時・性」...その7 | Q太郎のブログ

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パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥

 

 

 

 この仕事をはじめてからすぐ、たしか15歳の

 

頃だったと思うが、17歳の仕事仲間の女性から、

 

身の上相談を持ちかけられた。

 

 

 

「ねぇ、私ね、妊娠したかもしれないんだ。

 

遅れているの。今日で2週間、どうしたらいいと思う?」

 

さほど、驚きもしなかった。

 

 

 

「彼に、話したの?」

 

 

 

「ううん。まだ」

 

 

 

「話したほうが、いいよ」

 

 

 事の重大さを、実感して知らない人間にしか、

 

持てない残酷さだったのかもしれない。私は、

 

ただ、淡々と答えていた。

 

 

 

彼女は、10日ほど後に、

 

喜びの声で、

 

「間違いだったの!」

 

と告げてきた、

 

彼女は、私に言った。

 

 

 

 

「百恵ちゃんに、言われた通り、私、彼に言ったの。

 

そしたらね、彼、一緒に病院へ行こうって。

 

とにかく確かめなきゃって。結論は、

 

それからでもいいって。話してよかったわ。

 

ほんとに...」

 

 

 

 彼らは、真剣だった。少なくとも、性をまじめに

 

捉えていた。もっとも、17歳で妊娠したという

 

こと事態を、ふらちなことと言われてしまえば、

 

それまでだが...。

 

 

 

これは、芸能界のみに限ったことではない。

 

 

 

 

 芸能人が、性に対して、変に閉鎖的になって

 

しまうのは、やむを得ないと思う。マスコミによって

 

報道されているものによれば、まるで芸能界に

 

おける男女間の●▲■は、すべてが欲望のはけ口で

 

あったり、人気や地位を得るための”道具”であるかの

 

ような見方しかされていない。

 

 

 

 それさえなければ、芸能界の

 

人間たちも、もっとあっけらかん

 

とした感覚で性を、見つめられるのでは

 

ないだろうか...?

 

 

 

 

 当時、私は学校へ通っていた。女子校だった。

 

異性の目や口を、全く意識することなく、みんな

 

あっけらかんと、性というものを語っていた。

 

 

 

何人かの友人たちは、高校に入った頃すでに、男と女

 

の●▲を持っていた。しかし、みんなそれぞれに、

 

考えた末のことだった。早々と、結婚を語る

 

者もあれば、自分自身の”早すぎるかもしれない経験”に、

 

ほんのわずかな戸惑いを口にして

 

いる者もいた...。

 

 

 

 そんな状況下の置かれたせいでもないのだろうが、

 

私自身は性について、基本的に肯定派

 

だった。

 

 

 

 愛し合っていれば、肉欲も含めて愛し合うのは

 

当然だと思っていた。男が、好きになった

 

女を●きたいと思う。女が、好きになった男に

 

▲かれたいと願う、ごく、あたりまえのことだと

 

思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山口百恵水着 に対する画像結果

 

 

 

 女が、女でありうる価値は、

 

処女か、非処女かではない。

 

処女とは、あくまで精神的な意味

 

だけでよいのではないだろうか? 

 

 

 

 そのたびごと、真剣であれば、

 

遊び半分で●わってしまっても

 

よいということではない。

 

 

 

 いささか、教条主義的な

 

言い方ではあるが、神聖な気持ちを忘れること

 

なく、相手を愛すべきなのだ。

 

 

 

 

 人間という自然の生み出した生物。男と女と

 

いう、まったく別の思想と生理を持った2つの体が、

 

愛というものの下ではじめて、●▲になれる瞬間を私は、

 

何よりも美しいと信じている。

 

 

 

 

 性というものは、

 

そんなに甘いものではないという人も

 

いるかもしれない。

 

もっとドロドロしたものだという

 

見方もあるだろう...。

 

 

 

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

昭和58-12-28

発行:集英社

著者:山口百恵

「蒼い時・性」

より紹介しました。